2015年7月30日 水木しげる不在の一反木綿なんてアリ!?

7月30日時点の英語のWikipediaから「一反木綿」の項目を丸々、引用してみよう。

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Ittan-momen

Ittan-momen (一反木綿 “one bolt(tan) of cotton”?) is a Tsukumogami formed from a roll of cotton in Japanese myth. Most has been handed down to the Kagoshima Osumi district. The Ittan-momen “flies through the air at night” and “attacks humans, often by wrapping around their faces to smother them.”

In popular culture

  • In the anime/manga series, Inu x Boku SS, one of the characters; Renshō Sorinozuka, is an Ittan-momen.
  • In the tokusatsu franchise, Super Sentai, the Ittan-momen was seen as a basis of a monster in series installments themed after Japanese culture.
    • In Ninja Sentai Kakuranger, one of the Youkai Army Corps members the Kakurangers fought was an Ittan-momen.
    • In Samurai Sentai Shinkenger, one of the Ayakashi, named Urawadachi, served as the basis of the Ittan-momen within the series.
    • In Shuriken Sentai Ninninger, one of the Youkai the Ninningers fought was an Ittan-momen, with elements borrowed from a carpet and a magician.
  • In the Yokai Watch franchise features a Ittan-momen yokai called “Ittan-gomen”. Instead of attacking humans, it makes people do something bad then insincerely apologize for it.

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そこはかとなく違和感を覚える解説である。そもそも一反木綿って付喪神なのだろうか。たとえば『付喪神絵巻』には「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」とあって、付喪神は道具が長い年月を経て、化けて出るものである。一反木綿は「道具が長い年月を経て化けた存在」ではないだろう。そもそも、一反木綿というのは鹿児島県肝属郡という狭いエリアに伝わる妖怪だが、一反ほどの木綿のようなものが、夕方にふわっと飛んできて、首に巻き付いて人を窒息死させる、というもの。「木綿」と断定しているのではなく、その外観から、何だかよく分からないけれど「木綿のようなもの」と言っているわけである。

「大衆文化における一反木綿」として挙げられている作品にも違和感を覚える。最初に挙げられているのが『妖狐×僕SS』。確かにこの漫画は長い間、本屋に平積みにされていて、一部では大人気の作品だ。でも、英語圏の人が真っ先に挙げるような作品なのかは甚だ疑問である。二番目に挙げられているのは戦隊もの。忍者戦隊カクレンジャー、侍戦隊シンケンジャー、手裏剣戦隊ニンニンジャー。いずれも「和」の雰囲気を持った戦隊ものなので、外国人にはウケているのかもしれない。最期に挙げられているのは『妖怪ウォッチ』で、これは「大衆文化における一反木綿」として挙げるには順当かもしれない。

でも、日本人だったら、10人が10人、『ゲゲゲの鬼太郎』を挙げると思う。ちょこんと生えた2本の手、吊り上がった2つの目、先端が尻尾のように細くなって、背中に人を乗せて空を飛ぶ一反木綿のイメージは、実のところ、水木しげるの創作だ。実際の鹿児島県の伝承では「木綿のようなもの」とだけあって、姿に関する明確な記述はない。水木しげるがうまく視覚化した産物と言える。境港市が2007年に開催した妖怪人気投票で、一反木綿は鬼太郎を押し退けて堂々の1位に選ばれているが、これは彼の影響が大きいだろう。『ゲゲゲの鬼太郎』や水木しげるが紹介されない点が、何とも不思議な感じがする。

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英語圏では、まだまだ日本の妖怪の知名度は低いのかもしれない。その一方で、『妖怪ウォッチ』や『妖狐×僕SS』、戦隊モノなど、日本の最新の文化は英語圏に着実に流入していて、その中に登場することで、英語圏の人々は日本の妖怪と触れ合っている、とも言える。また、Wikipediaには、最新の情報にはただちに反応できるが、『ゲゲゲの鬼太郎』のような古くから存在する情報はうまく反映させられない、という特徴があるのかもしれない。実際、『ゲゲゲの鬼太郎』のWikipediaの登場人物の項目には、ちゃんと一反木綿の名前が挙がっていて、結構な分量を割いて解説されている。

一般的な日本人が抱く一反木綿のイメージと、英語のWikipediaの記述には、若干の乖離があるわけだが、翻れば、日本人が抱く海外の妖怪のイメージも、現地の人からすれば、的外れだったり、乖離があったりすることも大いに考えられる。特に資料の乏しい国の妖怪だったら、尚更だ。ボクも、海外の妖怪をリサーチするときには気をつけなきゃいけない。

2015年7月3日 シュメル・アッカド神話の好感度アップ作戦が必要!?

シュメル・アッカド神話がいまいち浸透しないのは、イラストとしてインパクトを与えられないからだ、とちぃ子が言う。エジプト神話と言えば、ハヤブサの頭をしたヘル(ホルス)、ジャッカルの頭をしたインプゥ(アヌビス)、緑の顔のウセル(オシリス)など、明確なイメージが湧く。インド神話と言えば、ゾウの頭をしたガネーシャ、真っ青で3つ目のシヴァなど、明確なイメージが湧く。ギリシア・ローマ神話も、北欧神話も、そうだ。仏教も、如来、菩薩、明王で違いがあるし、分かるようになれば、持ち物なんかで誰が誰なのかを区別できる。でも、たとえば、記紀神話だと、みんな、髪型が角髪(みずら)で、誰が誰かを区別しにくい。理解しにくいと言えば、そうだろう。

シュメル・アッカド神話は、イナンナとかエンリル、エンキ、アンなどと言っても、イラストとして「これだ!」というイメージは湧かないかもしれない。ボクなんかは、白目のイナンナが両腕で円盤を掲げている姿とか、肩から水が魚と一緒に溢れ出しているエンキなんかを思い浮かべる。でも、それもあくまでも貧弱な彫刻のイメージであって、キャッチーなイラストではない。だから、シュメル・アッカド神話の神々を具体的にはイラスト化できない。

もしも、これらの神々をうまくイラスト化できれば、シュメル・アッカド神話の認知度も上がって、もう少し親しめるようになるかもしれない。その辺、チャレンジしてみてもいいかなあ、と思い始めた今日この頃である。

2015年4月23日 宇宙人には固有名詞が少ない!?

22日の記事の続き。妖怪の固有名詞と言えば、宇宙人には固有名詞が非常に少ない。大概、「○○事件の宇宙人」などと呼ばれていて、宇宙人と遭遇した場所を冠される。例えば、宇宙人の中でも有名な「フラットウッズ・モンスター」はアメリカのウェストヴァージニア州、フラットウッズ町に現れたから、フラッドウッズ・モンスターだ。しかも別名「3メートルの宇宙人」などと呼ばれていて、センスもへったくれもない。そんな中じゃ、「グレイ」は非常に珍しいパターンだし、「火星人」とか「金星人」だって、全体から見れば、非常に珍しい事例と言える。「ウンモ星人」とか「プレアデス星人」なんて、もっともっと珍しくって、非常に貴重な存在だ。

多分、宇宙人に固有名詞が少ないのは、彼らが知的生命体だから、勝手に名前をつけられないからだ。どこの星から来たのかは、目撃しただけでは分からない。彼らの名前だって、実際、コンタクトしてみなきゃ分からない。「体色が灰色だからグレイだ」と命名するのが関の山で、彼ら自身は自分たちのことを「我々はグレイです!」と名乗ったわけではない。

宇宙人に命名するということは、宇宙人とのコンタクティであるということで、頭のおかしい人レッテルを貼られてしまう。それよりも、宇宙人を目撃した、という方が圧倒的にハードルは低い。だから、きっと、「こんな姿のこんな特徴の宇宙人を見た!」という証言で終わってしまう。その結果、「○○事件の宇宙人」という整理になってしまう。

コンタクティの証言の中では、固有名詞が語られる。コンタクティの第一人者と言えば、アダムスキーだけど、彼はちゃんと宇宙人に名前をつけている。金星人オーソン、火星人ファーコン、土星人ラミューだ。コンタクティのカヴァロはクラリオン星人と何度もコンタクトをしている。ビリー・マイヤーもプレアデス星人のアスケット、セムジャーゼとコンタクトしている。要するに、宇宙人と話をしたという域に達しないと、固有名詞が出てこないのである。

そんなわけで、ファンタジィ事典がターゲットにしている妖怪の中には、ボク的には宇宙人も含まれると考えているわけだけど、なかなか更新されないのである。

2015年4月22日 アイダハルという未確認生物の正体!?

アイダハルという未確認生物がカザフスタンのコッコーリ湖に棲んでいるらしい。でも、英語で調べても「アイダハル」という表現に該当する英語には出会えない。大抵、コッコーリ・モンスターとか、コッコーリ・レイク・モンスターと表現されている。ネッシーではなくてロッホ・ネス・モンスターの方が世界一般で知られている名前なのと同様だ。ただし、ネッシー(Nessie)という表現自体は、日本だけではなくて、外国人が使っている例もあるが、アイダハルについては、ほとんど使われていない。どういうことだろうか。

悩んでいたボクは、ふと閃いた。カザフスタンはカザフ語の国なので、アイダハルをカザフ語にすればいいのである! キリル文字でアイダハルっぽい感じにして検索すれば引っ掛かるだろう。そうしたら、驚いたことに、google翻訳にカザフ語がある。だから、まずはこれでやってみたら、ビンゴだ!!

20150422

出た! Айдаһарだ。どうやら《竜》を意味する一般名詞らしい。こうなると、するするといろんなことが諒解されてくる。つまり、トルコのジャノと同じパターンじゃないか、と疑ってしまうわけだ。

トルコのジャノはワン湖に棲む未確認生物だ。トルコ版ネッシーみたいなやつ。ジャノという名称は、Van Gölü Canavarı(ワン・ギョリュ・ジャナワル)に由来していて、Van Gölüが《ワン湖》、canavarが《怪物》を意味する。従って、Van Gölü Canavarıを直訳すれば《ワン湖の怪物》ということになる。ネス湖の怪物、すなわちロッホ・ネス・モンスターと同じだ。

ところが、日本では、この「怪物」の部分だけを抜き出してきて、「ジャノワール」と呼んでしまっていて、誰がつけたのか、愛称「ジャノ」になっている。でも、これは明らかに誤りで、「ワン湖の怪物」を固有名詞的に「ジャノワール」と呼ぶということは、ネス湖の怪物を固有名詞で「モンスター」と呼んでいるようなものだ。

……というような事実は某ウェブサイト上で、トルコ在住の人と高野氏のトラブルですでに周知の事実なのだけれど、このアイダハルも同じパターンっぽいな、と思う。現地の誰かが「コッコーリ湖の竜」と呼んでいたのを、「竜」の部分だけ拾ってきてしまったのだろう。

ボクも含めて、事典をつくる人間は、とかく固有名詞を求めたがる。「テーバイの竜」とか「カウカソス山の鷲」とか「レルネー沼の水蛇」みたいな名前のない怪物よりも、ちゃんと固有名詞がばばーん、とあった方が格好いい。だから、無理矢理、固有名詞を引っ張り出す。そんな事情があったために、コッコーリ湖の「竜」は日本人の誰かによって「アイダハル」という名前を与えられてしまったのだろう。でも、現地でアイダハルを探しても、多分、コッコーリ湖だけに棲んでいるわけではないのだろうな、と想像する。

2015年4月21日 外科医の写真

4月21日は、ネッシーが最初に写真に撮影された日らしい。あの有名な「外科医の写真」というのがそれで、81周年らしい。あの写真、そんなに昔の写真だったのだなあ。今はカラーだし、画質もよくなってしまっているので、もう、ああいうペテンみたいなことはしにくいだろうなあ、と思う。その反面、合成とかCGみたいな技術が上がっているので、そういう疑いがかけられる。複雑なものである。

今日のGoogleのDoodleが、そんな「外科医の写真」をシニカルに笑い飛ばす絵だったので、面白かった。

20150421

2015年3月10日 スリュムの歌(Þrymskviða)

昨日の記事の続き。スリュム(古ノルド語で書けばÞrymr)と言えば、ヨートゥン族(霜の巨人族)で、雷神ソールからミョッルニルを盗み出して、武器の返還と引き換えに女神フレイヤとの結婚をアース族に要求する。このエピソードは「スリュムの歌(Þrymskviða)」に載っている。粗筋は次のとおりだ。

あるとき、ソールが目を覚ますと、大切なミョッルニルが失くなっていた。ソールの叫び声を聞いたロキは事情を理解すると、フレイヤから鷹の羽衣を借りて、ヨートゥンヘイムを飛んでいき、ミョッルニルを盗み出した犯人が巨人の王スリュムであることを知る。スリュムはミョッルニル返還の条件として、フレイヤとの結婚を要求する。神々は集い、対策会議を開く。ヘイムダッルの提案で、ソールがフレイヤの身代わりとして花嫁姿に扮してヨートゥンヘイムに向かうことになった。ロキも侍女に化けてそれに同行する。ヨートゥンヘイムでは、スリュムが結婚の宴の準備を進め、フレイヤの訪問を待っている。二人はそこに乗り込む。食事が供され、ソールは次々と平らげる。あまりの大食漢にスリュムが驚くと、ロキは慌てて「フレイヤ様は巨人国に来るのを心待ちにして8日間も何も食べていなかった」と言う。スリュムは口吻をしようと花嫁のベールを取ろうとすると、ソールのあまりに鋭い視線に驚く。するとロキは「フレイヤ様は巨人国に来るのを心待ちにして8日間寝ていないのだ」と取り繕う。こうして、スリュムはまんまと騙されて、ミョッルニルを取り出してしまう。ソールはミョッルニルを掴むと、宴の場で大暴れして、スリュムや巨人族たちを殴り殺すのである。

ゆるドラシルの今回のイベント名は「ドキッ!男だらけの結婚式」。花婿も花嫁も、花嫁に同行する侍女も、全部、男だから、そういう名前になっているのだろう。ヘイムダッルがソールの女装を提案しているのも神話のとおり。ロキが同行するのも神話のとおり。なかなか面白い企画である。ボクは今、ようやくソールが「女装トール」から「花嫁トール」に進化して、いよいよスリュムの館に乗り込むところ。今後、どういう展開になるのだろうなあ。楽しみだなあ(ワクワク)。

2015年3月9日 傘立てにミョッルニルを置き忘れた!!

ソーシャル・ネットワーク・ゲームの『ゆるドラシル』で新しいイベントが始まった。「ドキッ!男だらけの結婚式」というイベント(ひどいタイトルだww)だけど、ソールが巨人スリュムにミョッルニルを奪われ、取り戻すために女装する羽目になったエピソードをモティーフにしている。今まで、季節のイベントとか、コラボ・イベントとかをやっていたけれど、こうしてちゃんと神話のエピソードに正面から向き合った展開をしていなかったので、ちょっとビックリしている。

ゲーム上では、スリュムがコンビニを経営していることになっていて、ソール(トール)が傘立てにミョッルニルを置き忘れた(!)、というアレンジが加わっている。また、神話同様、スリュムはミョッルニル返還のためにフレイヤとの結婚を要求するわけだけれど、フレイヤはヘイムダッルに嫁き遅れとして茶化されている。曰く、スリュムは結婚していない女神と言えばフレイヤしか思いつかなかったのだろう、と笑われているのである。こういうゆるーい現代風のアレンジがある点が、まさに『ゆるドラシル』の魅力なのである。

ラベル
左からヘイムダッル、ソール、フレイヤ。
ソールがディズニーのジーニーに似ている(笑)。

こういう面白さを、ずぅっと継続してもらえたら楽しいよなあ。頑張って、製作者様。そして、ボクもこういう楽しい仕掛けを考えたいぞ、ファンタジィ事典。

2015年2月6日 イナンナ女神よ、何想う!?

大昔にウルクがあった場所は、今はイラク領で、ムサンナー県のサマーワになっている。豊穣の女神イナンナさまが祀られていた都市だ。ウルがあったところはジーカール県ナーシリーヤ。ここは月神ナンナさまの都市だ。

今や、イラクとシリアは危険な紛争地帯になっているわけだけど、最近、その近辺で新しい仕事がある、と聞いた。やってみたい、と手を挙げて、挑戦したら、もしかしたら行けるかもしれない。うーん。どうだろうか。

ちぃ子には「そんなところに行ったって、神さまはいないよ?」と言われた。まあ、確かに、神さまはいない。でも、ボクは別に神さまを拝みたいわけでも、神さまに面会を求めているわけでもない。

2010年にギリシアに行って、パルテノン神殿を訪問してみたけれど、アテーナー女神を求めて行ったわけではない。そこに行って、当時の人々の気持ちを感じてみたかっただけだ。実際、パルテノン神殿はものすごく高いところにあって、アクロポリスの丘なんて言うんだけれど、頂上まで登るのに一苦労。小一時間くらい掛かって辿り着く。アテーナイの街が一望できる場所。よくもまあ、そんなところまで資材を運んで、巨大な神殿を作ったものだ。行ってみて、初めてその建設の大変さを思い、彼らの信仰心を思った。

書籍から学ぶことも多い。でも、現地に足を運んで、空気を感じて、想像する。それが出来たら幸せだ、とボクは思う。早く戦争が終わって、平和になればいいなあ。石油が採れるばっかりに……不幸なことだよなあ。

2015年1月11日 動物園にて

野毛山動物園に行ってみる。横浜市民なのに初めての来園だ。ツクル君は初めて目の当たりにする動物たちに興奮しているように見えるが、果たして、分かっていて眺めているのかどうなのか?


アムールトラ、でかいッ!?

それにしても、動物園なんで高校生以降、行ったことなかった。思いのほかトラやライオン、クマが大きくてビックリする。写真で見慣れていても、テレビで動いているところを観ていたって、現実にこうやって目の当たりにすると迫力があるし、イメージとのギャップがある。トラもライオンも、何度も図鑑を広げて絵に描いてきたボクなのになあ……。

大昔には、ライオンはもちろんのこと、トラだって日本に棲んでいなかった。誰も見たことはなかっただろう。それでも、インドや中国の文献を経由して、そういう動物の名前とイメージは日本に輸入されていた。鬼はトラのパンツを履いているし、一休さんは屏風からトラを出してくれ、と要求するのだ。ましてやライオンなんかもっとよく分からないから、もう、獅子という別の怪物になってしまっている。

そういう時代から比べれば、写真や動画があって、メディアがあるボクたちはラッキィで、幸せだ。それでも、現物を見ると、やっぱり感動するし、イメージとギャップがあるのだから、昔だったら尚のことだ。

古事記に「和邇(わに)」という生き物が出て来る。「いなばのしろうさぎ(敢えて平仮名!)」が背中をピョンピョンと渡って行く例の生き物だ。これはサメのことだ、と説明している本もある。日本にはワニがいないし、サメのことをワニと呼んでいる地方がある、というのがその理由だ。でも、それって本当だろうか。何故、サメのことをワニと呼ぶのか。先にワニのイメージがあって、混同された、と考えるべきで、やっぱり、「和邇」は読みの通りにワニなのでは……?

そんなことを、動物園で考え込むボクである。

2014年10月26日 久々に落書きディ!!

久々に集中して妖怪の絵なんか描いてしまった。鉛筆で一気にがががーっと下絵を描いて、それから丸ペンでぐいぐいと線画を仕上げて、PhotoShopでベタ塗りで彩色。あっという間に2つも描いてしまう。多分、1時間ちょっとじゃないかな。どちらもフィリピンの妖怪。このくらいのクオリティなら、ガンガン行ける。もっと定期的に絵を描くようにしたいなあ、と思った。絵があった方が、楽しいファンタジィ事典になると思う。

残念ながら、今回の2枚は雑誌に使うことを意図して描かれているので、1月になるまでは非公開。乞うご期待。とは言え、本音じゃ、さっさと公開したいなあ。来週中にもう一枚、羊の絵を描いて、それで雑誌用の絵はおしまいだ。頑張るぞー。なんか、楽しいじゃん!! コピックよりもPhotoShopの方が楽チンかもしれない。でも、ベタ塗り限定だ(笑)。濃淡つけたり色を重ねたり、という芸当は、PhotoShopじゃ出来ないなあ、ボクは。

2014年10月24日 リスクとマネー。おでん。

来月、仕事でナイジェリアに行くので、予防接種を受ける。先日は狂犬病。本日はA型肝炎。月曜日には黄熱を受ける予定になっている。非常に高額で苦しい。

正直、エボラやマラリア、デングなど、予防接種じゃどうにもならない病気ばっかりが蔓延している中で、狂犬病やA型肝炎、黄熱の予防にお金掛けて、何だかなあ、という感じがしないでもない。でも、やらないよりはリスクは低下するだろう。リスクとマネー。どう評価すべきか。価値観の問題だ。昔のボクだったら受けなかったかもしれない。でも、今のボクはしぶしぶ受ける。保守的になった。丸くなった。さてはて。

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SNSゲームの「ゆるドラシル」のゆるさ加減が、ボクにはちょうどいいらしい。あっはっは、と笑いながらゲームをやっている。オージンとソール、フレイヤがいい感じ。何しろ、あのオージンが「おでん」Tシャツを着ているんだよ? スレイプニルなんて、魔ゼルな規犬かと思ったよ。え? あはは。

うーん。こういうエンタメ性は理想だなあ。頭の切れるスタッフがいるんだなあ。まあ、現時点では、ゲームとしての面白さはよく分からない。戦略性とか技術とかが必要なのだろうか。ボクのユニットのレベルが低いせいなのか、ゲームに慣れていないせいなのか、何が何やらだ。それでも、神々の愉快な会話の続きが見たくって続けてしまう。そういう魔力を持っている。

2014年10月23日 ブルルを探して三千里

本日、フィリピンより帰国。結局、ブルル(Bulul)の木像を発見できず。ブルルというのはフィリピンの精霊信仰に登場する田の神さまの名前だ。下級精霊みたいなもの。フィリピンでは、今でも一部、少数民族の間に精霊信仰が残っている。ブルルは、一見すると、膝を抱えて、体育座りで落ち込んだような姿の木像だ。何でそんなヘンテコな格好をしているのかは分からない。試しにBululでgoogleの画像検索でもすれば、たくさん出て来る。

面白いので、ボクも欲しいなあ、と思っていたわけ。マニラで買えるみたいな話だったんだけど、結局、見つからなかった。残念だ。ルソンの山岳地域の、少数民族がいるところに行かなきゃいけないのだろう。

まあ、仕事柄、もう何回かフィリピンを訪問するので、もう一度、トライしてみようと思っている。そう思えることが大変、贅沢なことだ。大抵の場合、海外旅行って、一度きりだ、と覚悟をするわけなのに……。

2014年9月30日 韓国の妖怪って!?

韓国の妖怪(?)について、いろいろと調べている。そのうち、正式にファンタジィ事典に載せよう。でも、取り敢えず、メモメモ……。

【パルガン・マスク】

빨간 마스크〔Ppalgan Maseukeu〕(パルガン・マスク)《赤いマスク》【朝鮮語】

1979年に日本各地で大流行し、社会問題にまで発展した都市伝説の口裂け女。彼女は海を渡り、遂には韓国にも出没するようになったらしい。韓国で流行したのは90年代の始め頃かららしい。10年のときを経て、彼女は韓国の地で復活したのである。

韓国では「パルガン・マスク」と呼ばれている。日本では彼女のマスクの色が言及されることはないので、多くの日本人は普通の白いマスクを連想していると思う。ところが、何故か、韓国では赤いマスクに白いコートを着ているらしい。実は「パルガン・マスク」というのは、朝鮮語で《赤いマスク》という意味なのである。

物語は日本の口裂け女と同じ。「私、きれい?」というお馴染みの台詞も健在で、韓国語で「나 예뻐(ナ・イェッポ)?」と訊いてくるという。そして「きれい」と答えると、マスクを外して「これでも?」と訊いてくる。その口は耳まで裂けている、というもの。恐ろしくなって逃げても、パルガン・マスクはものすごい勢いで追いかけてくるのである。

【タルギャル・キシン】

달걀 귀신〔Dalgyal Gwisin〕(タルギャル・キシン)《卵鬼》【朝鮮語】

タルギャル・キシンは韓国では有名な学校の怪談に登場する妖怪で、《卵鬼》という名前が示すとおり、卵のような姿をしていて、細い手足が生えている。そして、頭と足は逆さまで、頭の部分を床にトン、トン、トンとぶつけながら移動するという。トイレの妖怪で、ときには子供を食べてしまうこともあるらしい。次のような物語が知られている。

ある女の子が用を足そうと一番奥の個室に入ると、何者かがトン、トン、トン、と音を立てながら、入り口側の個室にやってきて、ノックする。そして「あ、いない」と呟く。また、トン、トン、トンと音を立てて移動して、隣の個室をノックし、「あ、いない」と呟く。それを繰り返して、いよいよ女の子の入った一番奥の個室の前にやってきた。彼女は恐る恐る下から覗き込むと、不気味な顔が覗きこんでいて、女の子は気絶してしまった。

その一方で、ノッペラボウの派生形のようなタルギャル・キシンも知られている。

あるとき、男の子がトイレに行った友人を待っていたが、あまりにも遅いので呼びに行くと、トイレの個室で友人がタルギャル・キシンに食べられていた。男の子は驚いていると、タルギャル・キシンは「お腹がいっぱいになったからお前は食わないでやる。でも、今見たことは絶対に秘密にしろ」と言う。彼はタルギャル・キシンと約束をしてトイレを出る。しばらく彼はこの出来事を黙っていたが、あるとき、クラスで同級生と二人きりになったときに、つい、タルギャル・キシンの話をしてしまった。するとその同級生は突然、「話すなと言っただろう!」と叫んだのである。

このヴァージョンでは、タルギャル・キシンは、目も鼻も口もない、卵のような顔をした妖怪である。

【チョスン・サジャ】

저승사자〔Jeoseung Saja〕(チョスン・サジャ)《あの世の使者》【朝鮮語】

チョスン・サジャは韓国の死神。3人一組で活動するらしい。白っぽい顔に真っ黒い唇、真っ黒い民族衣装に山高帽をかぶり、死ぬ予定の人間のリストが書かれた紙と筆を持っている。チョスンとは《あの世》、サジャとは《使者》のこと。名前のとおり、閻魔大王に命じられて、死ぬべき人間を迎えに来るのである。非常に官僚的だとされる。

韓国では、お葬式の際には、使者のための特別な御膳が準備されることもあって、御膳にはご飯やおかず、お金の他に、使者が履く草鞋(わらじ)まで添えられるという。

チョスン・サジャに関しては、連れて行く人間を間違えたり、同姓同名を連れて行ったりして、閻魔大王に怒られるなどのお茶目なエピソードも知られている。また、寝ているときに三人の人間が話し合っているのを聞いてしまう、という話もよく知られている。「この家だ」「いや、あの家だ」と議論して、いつの間にかいなくなる。そして、次の日に隣の家の人が死ぬ、というものだ。彼らはチョスン・サジャで、もしも、「この家だ」と結論づけられていたら、死んでいたのは自分だった、という物語である。

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日本と似ている部分もあるし、異なる部分もある。韓国の方が恨みの部分が強く、怪談なんかは怖い、と聞いたことがあるけれど、どうなのだろうか。

パルガン・マスクは日本の口裂け女だけれど、マスクの色は何故か「赤」だ。白いコートに赤いマスク。その姿は強烈だ。

タルギャル・キシンは、トン、トン、トン、と近づいてくるのが、とても怖いな、と思う。でも、卵に手足が生えている、と聞くと、ハンプティ・ダンプティを連想して、どうしてもボクなんかかわいい姿を想像してしまう。どうだろうか。

チョスン・サジャは伊坂幸太郎の「死神の精度」に登場する主人公を思い出すけれど、これは小説。本来、日本人は死神に対して明確なイメージはない。韓国人は日本人よりも明確に死神をイメージしている。

そんなわけで、韓国の妖怪である。韓国には、もっと、いろんな妖怪がいるのだろう、と想像するので、今後もいろいろと調査を進めていきたい。

2014年9月29日 最近のマイ・ブームはアジアの妖怪!!

Amazonで注文していた『韓国の怪談』が届いた。チョスン・サジャ(저승사자)とかタルギャルキシン(달걀귀신)とかが載っていると各所で書いてあったので、楽しみにしていた。

昔のボクは、ヨーロッパかぶれというか、西洋の神話・伝承が大好きだった。でも、最近はアジアに目が向いている。ミャンマーとか、フィリピンとか、実際に行ってみて、歴史とか文化を知った上で、妖怪について調べる、というやり方でやっているうちに、アジアの歴史に詳しくなって、泥臭いアジアの妖怪に俄然、興味が出て来た感じ。アジアは精霊信仰が盛んで、日本に感覚が似ている気がする。

韓国はお隣の国なので、本当は仲良くやれればいいな、と思っている。でも、歴史問題もあるし、ね。領土問題もあるし、ね。お隣であればあるほど、色々とこじれる。うーん。

2014年9月25日 カジュアルで、ポップで、アメリカンな妖怪!?

久々に日本の本屋さんを満喫する。海外出張で飛び回っていると、こういう時間がとても大事だ(わはは)。いろんなコーナを回る。特に何を買うわけでもないけれど、幸せな気分になる。

妖怪の本が雑誌コーナに結構、並んでいる。もしかしたら、妖怪ウォッチに被せてきているのかもしれない。でも、ボクはあのゲーム、ほのぼのした雰囲気はあるけれど、所謂、「日本の妖怪」ではないよなあ、と感じている。日本を舞台にしながら、レトロなRPGゲームという感じがする。マザー2みたいな、ね。ものすごくカジュアルで、ポップで、アメリカンな雰囲気。だから、妖怪ウォッチは面白いと思うんだけど、便乗して、妖怪ブームにはならないのではないかなあ。どうだろう。分からない。

逆に、妖怪ウォッチの影響を受けて、既存の妖怪たちがカジュアルで、ポップで、アメリカンな雰囲気に変質する、ということは、まあ、あるかもしれない。そうなったら、面白いけどなあ。

2014年9月7日 自炊してアップロードして本棚を持ち歩く!!

Evernoteの有料会員になると、1か月の間1GBまでファイルをアップロードできるようになる。アップロードしてしまえばこっちのもので、保存容量は無制限だ。だから、自炊した本を、どんどんアップロードしている。すぐにアップロード上限に達するけれど、また1か月待っていれば、カウントは0に戻る。そうしたら、また1GBまでファイルをアップロードできる。

便利なのは、こうやってアップロードされた本は、ネットワークに繋がってさえいれば、どこでも読める、ということ。iPhoneやラップトップPCさえあれば、読めてしまう。電車の中でも、外国のホテルでも、だ。9月7日時点で140冊、神話・伝承関連の資料を格納してある。要するに、140冊分の本を持ち歩いているのと同じだ。ふ、と調べたくなったら、すぐにアクセスできる。ファンタジィ事典の資料も作成できる。

昔っから、こういう時代が来ることを予感していた。ボクが想像していたよりも実現が遅かったな、という感じ。電子書籍に対して出版社が臆病だったのと、サーバーの容量の問題だ。1か月で1GBアップロードできる、というのは画期的。写真共有サイトみたいなものが容量アップを促進させてくれた、と思う。

相変わらず、電子書籍化は進まない。漫画や小説、雑誌みたいな大衆向けのカルチャでは結構、進んでいるけれど、専門書はあんまりだ。しかも過去のものは電子書籍化されない。だから、自炊する、という手間が掛かる。本を裁断して、スキャナで読み込む。でも、便利なことに、スキャナにはOCR機能があるので、文字を文字として認識してくれる。精度は抜群。ほとんど間違いがない。だから、自炊した本は検索もできるし、コピー&ペーストもできる。

そんなわけで、ようやく理想の時代が近づいてきた。

2014年7月21日 もう少しだけ厳密さのないポップな文章に!!

本日は海の日でお休み。だから、久々に「ファンタジィ事典」をいじくる。当初はシンプルさを追求していて、敢えて「ファンタジィ事典」に「mini」を付した。本当は、もっと、ずぅっとシンプルでよかったのに、最近、複雑な文章になっている。複雑、というのは、あれもこれも、と欲張りに情報を詰め込んでいる、ということ。取捨選択をする時間もなくて、載っけている。もう一度、初心に帰る必要がある。そんなこんなで試行錯誤なう。

多分、もう少しだけ厳密さのないポップな文章にすべきなのだ。その上で、厳密さを後から補足する。そういう構造にしてやれば、もう少しだけシンプルになるな、という予感がしている。その辺のルール化をして、もう一度、出直しを図ろう。

2014年7月14日 この世は「ばけものだらけ」!?

雨鳥『ばけものだらけ』が独特の雰囲気で、非常に面白かった。そこまで過度な期待をしていないで読み始めて、いい意味で、見事に裏切られた。素敵な漫画だ、と思う。ほのぼのとした画だけど、白黒の濃淡とか、ゆらゆらと揺れる手書きの線とかが、ふ、と引き込まれるような瞬間がある。そして、いろんな妖怪が登場する。妖怪フェチのボクとしては、へえ、そういう解釈で描くのかあ、と驚くことや不思議に思うこともある。でも、ひとつの妖怪に対して、独特の感性と解釈で切り込んでいく姿勢は、非常に真摯で、クリエイタだな、と思う。女郎蜘蛛の腕が6本で描かれていたり(足も含めると8本になる!)、片車輪が自転車の車輪に棲みついていたり、雲外鏡が水にも憑依できたり、面白いな、と思う。そして、何気なく、自然にこの世界に存在しているような描かれ方。まさにタイトルのとおり。ばけものだらけ、なのである。まだ1巻なのだけど、今後の展開に期待だなあ。水木しげる曰く、妖怪千体説なので、まだまだいくらでも新しい妖怪が登場させられるのである。楽しみだなあ。ふふふ。


『ばけものだらけ 1巻』
(漫画:雨鳥,ライバルコミックス,2014年)

2014年7月13日 岩戸隠れごっこ

ツクル君、結構、本気で向き合わないとダメらしい。適度な距離をとっていると、すぐに見抜いて泣き始める。

ツクル君の玩具(おもちゃ)に、太陽の刺繍の入った鏡がある。ベビー・メリーとしてぶら下げておくものなのかもしれない。でも、我が家では彼の舐め舐めグッズに成り下がっている。

太陽ミラー(表)

太陽ミラー(裏)

「をを、太陽と鏡! アマテラス!」などとテンションのあがったボクは、ツクル君を抱えて、鏡に手を伸ばす。そしてツクル君を映す。「何でツクル君が泣いているのに父は喜んでいるのかって? ツクル君よりも素敵な赤ん坊がいるのです。さあ、見てごらん!」などとツクル君を映す。身を乗り出すツクル君……などとテンション・アゲ・アゲで遊んでいたら、ホントにツクル君が鏡に向かって身を乗り出して、ボクはバランスを崩す。膝がぐん、と変な方向に引っ張られて、攣った。やあ、攣った。「あ゛あ゛あ゛あ゛」と悲鳴のあがる昼下がり。運動不足の父だ。アーメン。

2014年7月11日 妖怪ウォッチをウォッチングなう!!

本屋さんにて大量に本を購入。思い切っちゃうと、どどーん、と5000円くらい買ってしまうから恐ろしい。目的は『少女ファイト』だ。知らないうちに、11巻まで発売されていた模様。驚くべきことに、ボクの書棚は8巻で止まっている。基本的に、本屋さんの漫画コーナは端から端までチェックしているつもりなのだけれど、こういう青年コミックは、少年コミックと違って、バックナンバも含めて、ちゃんと置いていないところが多いので、全ッ然、スルーしていた。そんなわけで、一気に11巻までおいつく。それから、クラシックプレミアムの14巻。今回の号は、ボクが大好きなバッハだ。……とノリに乗ってしまったお陰で、ついでに佐々木拓丸の『Eから弾きな。』と雨鳥『ばけものだらけ』をジャケ買い。前者はずぶの素人が強引なヴォーカル女子に巻き込まれて、いきなりバンド・メンバに抜擢された挙句、ギターを習ってステージに立つ、というお話。後者は、ほのぼのした画風の妖怪の話。雨鳥さんは前作も、独特の雰囲気があって面白かったんだけど、やっぱり、まだまだ同人っぽいかなあ、と思っていた。でも、今回はタイトルからして『ばけものだらけ』なので、妖怪フェチのボクとしては、ついつい手を伸ばしてしまう。ふふふ。


『少女ファイト』
(漫画:日本橋ヨヲコ,イブニング,2006年~)

そうそう。妖怪と言えば、最近、妖怪ウォッチなるものが爆発的に市場に溢れている。雑誌もテレビも、妖怪ウォッチ、妖怪ウォッチ……。ポケモンのような大流行だ。最近、注目して見ているんだけど、でも、ポケモンと同じで、ボクの食指はあんまり動かない。絵柄はかわいいし、ゲームそのもののほのぼのした雰囲気、ワクワク感はとても素敵なんだよね。でも、妖怪そのものに80年代のビックリマンほどの遊び心は感じられない。最近のパズドラのようなマニアックさも感じられない。基本、ボクはひねりのないオリジナル・モンスターには興味がないのだなあ、と自己分析。

とは言え、段々、古典妖怪が増えているようで、そういうものの描かれ方がどういう風にデフォルメされるか、という点には興味がある。人面犬とケルベロスがくっついたみたいな「かおベロス」というのもいて、こういうお遊びくらいまで行くと、多少、ビックリマンと張り合えるかな、と思っている。

現代の日本の住宅に妖怪が現れる、という設定そのものは、とても素敵だなあ、と思っている。ワクワクするもんね。舞台は最高だ。今後に期待だなあ。そんな感じ。