2018年7月1日 メソポタミア神話のキャラクタを描いてみた!

と書いても、去年の11月頃に描いたものだ。そのうち、ペン入れして、色でもつけようかと思っていたけど、なかなか進まないので、取り敢えず、あげてみようと思う。


アン/アヌ

エンキ/エア

エンリル

イナンナ/イシュタル

メソポタミアでは、メインは木製の像だったので、ほとんど現在に残るような図像はないので、これを形にするのが難しい。だから、こうやって絵に落とし込むアプローチも意味があるのではないか、と少しだけ思っている。

2018年1月7日 クロとブチ

今年は戌年なので(笑)。第2弾。

【シュヤーマとシャバラ】

श्याम(シュヤーマ)《黒色》【サンスクリット】
शबल(シャバラ)《斑模様》【サンスクリット】

シュヤーマとシャバラはインド神話に登場する2匹の犬。冥界の支配者であるヤマ(仏教神話でいうところの「閻魔」)に従う番犬。この2匹の犬は4つ目で斑模様を持つ。冥界へ至る道を守護・監視し、ときには現世を徘徊し、死すべき人間を見つけて冥界へ連行する。

シュヤーマは《黒色》、シャバラは《斑模様》という意味で、現代風に言うなれば「クロ」と「ブチ」。

2018年1月5日 ほっといてくれ。

今年は戌年なので(笑)。

【人面犬】
人間の顔を持ち、人語を喋る犬。1990年頃に大流行した。ゴミ箱を漁って汚い言葉で捨て台詞を吐いたり、高速道路で追い抜いた車両を事故に遭わせた。噛まれた人間は人面犬になるとも噂された。大抵はおじさん顔。

2017年6月13日 ひとつながりの「妖怪」として受け止める

ティラノサウルスって、大昔はゴジラみたいな姿だった。直立二足歩行で、尻尾を引き摺って歩いていた。肌の色も、爬虫類を参考に茶色にされていた。でも、研究が進んで、今では尻尾と頭でバランスをとった前傾姿勢で、背中には羽毛が生えている。肌の色も黒っぽい色だと判明してきた。

つまり、実在の生き物(ティラノサウルスは絶滅はしているが!)でも、姿・形は時代によって変化していく。それでも、実在の生き物である以上、その姿や色には「正解」があるはずで、生きた痕跡が残るので、研究が進めば、真実に辿り着けるかもしれない。

一方の想像上の生き物の場合、彼らは人々の頭の中にしか存在していない。だから、当然、語る人によって姿・形は変わる。語り手がいなくなったら、何も残らない。従って、文献や絵画、彫刻になって残されたものから類推してやるしかない。でも、それだって、時代や社会によっていろいろと変化、あるいは変質していくので、「正解」はなくって、どれだけ研究しても、本当のところ、真実には辿り着けないかもしれない。

古代の人々が思い描いた「妖怪」と、それを受けて中世の人々が思い描いた「妖怪」と、近世の人々が思い描いた「妖怪」は、たとえ同じものであっても、全ッ然、違うかもしれない。それは現代でも同じで、ゲームや漫画、ラノベのモティーフにされて、その「妖怪」は新たに解釈される。そして、それもまた、その「妖怪」の一部になっていく。そういうのも含めて、全部、ひとつながりの「妖怪」として受け止めることが、とても大切だ、と最近のボクは思っている。

2017年5月18日 緑鬼は角3本って本当!?

ウェブサイトで調べていたら、「赤鬼は金棒、青鬼は刺股、黄鬼は両刃のこぎり、緑鬼は薙刀、黒鬼は斧」と肌の色によって所持している武器が異なるとの説明を発見した。ボクはいろんな妖怪本を読んでいるけれど、この記述は初めて見た。どこからの引用だろうか。いろいろとインターネットで調べてみるが、みんな、文面が同じなので、きっと、誰かが書いた文章をコピペしているのだろうと思われる。インターネットに出回ると、それがさも真実のように浸透していく。そして、一次文献が不明確になる。ホント、出典はどこだろうか? 誰かご存知か? とは言え、面白いので、ボクもこれから絵を描くときには、青鬼には刺股を、緑鬼には薙刀を持たせてみようと思っている。

ちなみに、うちの息子は「赤鬼は角が1本なんだよ! 青鬼は2本なんだってさー!」などと言っている。保育園の先生が節分のときにそう教えたのだろう。いじわるなボクが「じゃ、緑鬼は?」と訊いてみたら、しばらくはうーん、と考え込んでから「3本だ!」と答える。こうやって、「真実」は形成されていくのかもしれないな、と思う。特に妖怪の場合は実態がないので、証明のしようもないので、言ったもん勝ちだ、という側面は否定できない。

2017年1月22日 ご当地メジェド様!?

エジプト神話関連のインターネット業界(?)では、かなり前から「メジェド」で大盛り上がりしていた。まとめサイトによれば、2012年頃から注目され始めたらしい。オバQみたいなかわいらしいシルエットと、その姿とは裏腹に目からビームが出たり、口から炎を吐いたり……とマニア受けのいい性格が人気の秘密だ。ゲームや漫画でも取り上げられて、まさに大フィーバーであった。まさか古代エジプト人も、こんな恰好で辺境の地・日本で「メジェド」が取り上げられるとは思ってもいなかっただろう。

先日、丹沢を訪れたら、こんなストラップが売っていて衝撃を受けた。

「ご当地メジェド様」

「メジェド」が浴衣を着ている!! 「ご当地○○」と言えば、ご存知、サンリオのハローキティ。そして、リラックマ、加藤茶、チョッパー。メジェドはこの流れに乗っていこうというのだから、ビックリ。そんなに知名度があるのだろうか。そして、ニーズがあるのだろうか。さてはて。

いずれにしても、メジェドが大フィーバーしていたのは少し前のことなので、「ご当地メジェド様」も、少し前に販売されたのだろうけれど、今頃になって、ボクは彼と遭遇して、ビックリしている。

* * *

ちなみにエジプト神話と言えば岡沢さんだけど、彼女は「メジェド」を別の神さまの別名(エピセットの類い)として捉えている模様。でも、絵としては非常にコミカルなので、ボクも岡沢さんと同じで、「メジェド」は「メジェド」でいいと考えようと思っている。

2016年8月27日 玉石混交。

下の記事に関連して、最近、ファンタジィ事典の記事を書きながら感じていることでも書いてみよう。

ファンタジィ事典の記事も、実は匿名性という意味では同じことが言える。たとえば「○○という説がある」とか「○○と解釈されている」とか「○○と考えられている」という記述は、書き手として非常に楽チンだ。でも「説」と書く以上、その「説」を提唱している専門家がいるはずだ。「解釈」している専門家、「考え」を持っている専門家がいるはずなのである。ところが、よくよく調べていくと、その「説」を唱えている人は学者でも専門家でもない、素人の場合もある。あるいは胡散臭い専門家だったり、偏った過激な学者の場合もあって、その「説」の信憑性が疑わしいこともある。明らかに牽強付会だろう、という説だってあるわけだ。そういうのを無視して、ただただ漫然と「○○という説がある」と書くのは、実のところ、とっても楽チンなんだけど、とっても無責任だし、とても怖いことである。

失われてしまった神話というのは、かなりの部分、学説によって支えられている。掘り起こされた文字資料や絵、創作物、その他の遺物から、かなりの部分、仮説を積み上げて、解釈を加えて、再構築されている。あんなに文学作品が残されているギリシア神話ですら、想像で補完すべき部分がたくさんある。そういう意味では、書籍に「○○という説がある」と書いてあって、それを鵜呑みにするのも怖いことで、その根拠となる学説のロジックや信憑性、提唱者の立ち位置を探っていかないと、本当のところは分からないし、そもそも「本当」ってものがあるのかどうかも分からない。

どうもアステカ神話は胡散臭いな、と感じている。いろんな間違った学説や怪しい学説が入り混じっていて、市販の本も玉石混交の印象。そういう解釈も含めて楽しむのがファンタジィだ、というのも「あり」なんだけど(たとえば、シュメルの神さまが宇宙から来たというシッチン説も丸ごと取り込んで楽しんでしまうとか!!)、でも、大昔に本気でその神さまを信仰していた人々に失礼な気がして、もう少し、ちゃんと調べないと、と思ってしまうのがボクの正直な気持ちである。メソアメリカに暮らしてテスカトリポカやケツァルコアトル、ウィツィロポチトリを信じていた人々が、スペイン人が侵入して、文字を手に入れた後に、少しでも文字資料として神話を残そうとした気持ちを、大事にしたいなあ、と思う。

で、本当は、そういう一次文献に当たりたいんだけど、日本語になっているものはほとんどないのが現状だ。英語になっているものもあんまりなくって、スペイン語が一次文献になってしまうものが多そうだ。そういう状況だからこそ、胡散臭い学説がまかり通って、訂正されずに残り続けているのかもしれない。

とは言え、結局、ボクはスペイン語が出来ないので、ただただ悩ましいなあ、と愚痴るだけで、ならばどうする、というソリューションは、今のところ、持ち合わせていない。問題提起だけして、今後、考えていこうかな、という感じ。そんなことを考えている今日この頃である、という告白。

2016年8月25日 まんがだからってバカにできないシリーズ

『死者の書 まんがで読破』が比較的、面白かった。主人公のトトがいきなり蛇に咬まれて死んでしまい、死者の書を片手に冥界に行き、苦難をくぐり抜け、オシリスの審判を受けて、イアルの野に行くという物語。オシリス神殿で暗闇を抜けたら、ずらり、と神さまが勢ぞろいして並んでいるシーンは非常に壮観で、感動した。マンガならではの演出だ。

実は同じシリーズの『日本書紀 まんがで読破』も、中身としてはかなり簡略化していて物足りない部分はあるが、絵が印象的で面白かった。ああ、神さまが動いている、という感じがした。『コーラン まんがで読破』もイスラームの思想や文化、歴史などを説明しながら、コーランに何が書いてあるかを簡単に学べて、なかなか興味深い。

このシリーズ、意外と調べて書いている印象があって、入門書としてはかなりオススメだと思う。神話だけじゃなくって、ドストエフスキーの『罪と罰』やゲーテの『ファウスト』みたいな文学作品やマクベスの『資本論』とかカントの『純粋理性批判』みたいな哲学書(?)もあったりするので、楽しいなあ、と思っている。

2016年8月25日 アステカ神話、始めました。

しばらくメソポタミア神話を続けていたんだけど、細々とアステカ神話の項目を始めてみた。興味があっちに飛んでこっちに飛んで、と散漫にやっているからダメなのは承知の上なのだけれど。

取り敢えず、3項目を更新。オメテオトルミシュコアトルウィツィロポチトリ

今回のシリーズは、少なくともテスカトリポカ、ケツァルコアトル、トラロック、チャルチウィトリクェ、トナティウの5項目をアップするまで続けてみようと思っている。何故アステカ神話なのかというと、Wikipediaの「神の一覧」の項目で最初がアステカ神話だったから、というだけの理由だ(笑)。この順番で行くので、次はアブラハムの宗教。ユダヤ教、キリスト教、イスラームなので、四大天使くらいは更新したいなあ。そんな感じで順繰りローラ作戦である。

2016年6月6日 復刊ドットコムがやりおった!?

復刊ドットコム

たまたま尾崎かおりの新作『人魚王子』を探して入った本屋で、新着コーナに佐藤有文の『世界妖怪図鑑』が1冊だけ並んでいてビックリして、思わず二度見、三度見してしまった。裏返したら、復刊ドットコム。ずぅっと復刊希望のランキング上位にいたわけだけど、遂に復刊まで漕ぎ着けたわけだ。ネタとして、迷わずレジに持っていってしまった。本屋には置いていなかったが、『日本妖怪図鑑』の方も少し前に復刊しているらしい。

それにしても、いい意味でも悪い意味でもいい加減な時代だったのだなあ、と思う。引用されている画像と解説は8割方合っていない。解説では中世の悪魔を紹介しているのに、引っ張ってきている図像は、似たような姿をしたインドの神さまだったりする。ちゃんと解説が書けている項目もあるので、その文献には当たっているわけで、ちゃんと文献を読んでいないし、まるで誠意が払われていない。こんな杜撰な(あるいは悪意ある)クオリティで本になってしまうのだから、大らかだったとは言え、すごい時代だよなあ、と思う。そんなアレな本なので、復刊は難しいだろうな、と思いながら、復刊リクエストに要望を出していたボクだったけれど、まさかまさかの復刊である。

「この本には、みなさんのよく知っているフランケンシュタイン、ミイラ男をはじめ二百種類もの妖怪と悪魔が百種類のっています。これ一冊で世界の妖怪はすべてがわかります」と書いてあるけど、完全に誇大広告だ(笑)。たかだか数百で世界の妖怪の全てが分かるはずはない。ましてや解説はいい加減な極まりないのだから、性質が悪い(笑)。

2016年6月1日 スマホで『よいこの太陽信仰』を読んでは電車の中で噴き出すボク

最近、ウェブサイト上の漫画の『よいこの太陽信仰』というのを発見して、密かに楽しんでいる。世界各地の太陽神をずらりと登場させて物語が展開していく4コマ漫画だ。たとえば、日本からは天照大神が登場するし、エジプト神話のラーも登場する。メソポタミア神話のシャマシュやインド神話のスーリヤも登場する。ギリシア神話からはアポロンが登壇だ。そういう登場人物たちが同じ世界でわいわいやっている漫画だ。もともと作者がどのような意図で太陽神にフィーチャーして、太陽神だけの漫画を描こうという着想を得たのかはよく分からない。でも、期してか期せずか、結果として各国神話比較の様相を呈している。ある国の常識は他の国にとっての非常識。そういうギャップがクローズアップされて、笑いを生み出していて、非常に面白い。

2016年4月23日 Google Noto Fonts

ファンタジィ事典で世界各国の妖怪を紹介している関係、原語にこだわっている。たとえば、英語のウェブサイトで「天狗」のことを「Long-nosed Goblin」などと紹介してあったら、ちょっと引く。でも、これは冗談ではなくって、日本の英語の辞書なんかには、Long-nosed Goblinという項目があったりする。同様のことはよくあって、例えば、ウェールズの「ウォーター・リーパー」という妖精なんかは、Wikipediaでもウォーター・リーパーの項目で載っているが(英語でもWater Leaperだ)、これはウェールズではLlamhigyn Y Dwr(サムヒギン・ア・ドゥール)と呼ばれていて、勿論、意味するところは《ウォーター・リーパー》なんだけれど、英語圏の人がそういう紹介をして、いつの間にか、そういう名称が普及してしまった格好なのだろう。

ボクとしては、あんまり、そういう訳語を使いたくなくって、現地での固有名詞を並べるウェブサイトにしたいと思っている。その一方で、外国語には日本語にはない発音がたくさんあるので、当然、カタカナ化には限界があるので、その間で煩悶する。その解決策として、原語での記載を併記する。ドイツ語ならドイツ語、フランス語ならフランス語、ロシア語ならロシア語、ギリシア語ならギリシア語だ。ところが、当然、マニアックな言語、例えばタイ語やミャンマー語、ラオス語などになると、コンピュータ側の印字に問題が生じる。対応フォントを設定してやらないとうまく印字されない。ましてや古代の言葉、ヒエログリフや楔形文字、アヴェスター語になると、対応フォントがデフォルトではインストールされていない。従って、文字化けになる。

こういうのは、いつかは解消されるだろう、と大学生の頃から、ボクは楽観的に思っていた。Unicodeとしては種々の言葉がどんどん登録されていくので(最近では麻雀牌や日本のケータイ絵文字も登録されている!)、Unicodeに全て対応するフォントが、いずれは出てくるだろうと思っていた。そして、そういうフォントが作成されれば、デフォルトでOSにインストールされるのではないか、とも思っていた。でも、今のところ、Unicode全てに対応したフォントは登場していない。ニーズの問題と、技術的な問題と、両方あるのだろうけれど、想像していたよりもずぅっと遅れている。

そんな中で、Googleでひとつのプロジェクトが動いている。多言語化に対応するために、Notoフォントというパッケージが作成されている。Notoフォントのパッケージを全てダウンロードすると、全てのUnicodeに対応する。つまり、ボクの理想形に限りなく近い。ただし、ひとつのフォントではなく、フォントのパッケージである。全Unicodeに対応させるとものすごく重くなるらしく、結局、それぞれの言語で分割して、パッケージとして対応するという判断になったらしい。まあ、パッケージで全Unicodeに対応しているのだから、それでいいじゃないか、という話もあるのだが、例えば、Wordで文書を作成して、日本語で文章を書いていて、途中に楔形文字を入れることを想像してみる。Word全部でたったひとつの『Noto Fonts』で対応してくれれば楽ちんなのに、現状としては、日本語の部分は「Noto Sans CJK JP」、楔形文字の部分は「Noto Sans Cuneiform」を指定しなければならない。ウェブサイトも同様で、スタイルシートで言語に応じてフォントをしてやらなければならない。

その一方で不思議なこともあって、日本のケータイの絵文字だ。Unicode.orgを参照してもらいたいのだが、いつの間にか、日本のケータイ文化の中で育った絵文字は、いつの間にか「Emoji」として世界基準になって2010年にUnicodeに登録され、ケータイ会社3社で統一化されたり、各種のSNSやblogサービスにも対応するなど、広がりを見せているが、実は最新のwondows OSでは、普通に絵文字が印字できるようになっている。「らくだ」と打って変換すると「🐪」になる。絵文字を印字させるためにわざわざ対応したフォントを作成しているわけだ。こんなものをデフォルトに実装するくらいなら、もっと別のことをやってくれよ、と内心、ボクは思っているわけだけれど、ニーズには勝てない、ということ。だから、もっともっと多言語化にニーズがあることをアピールしなきゃいけない、ということで、ファンタジィ事典では、たとえ文字化けになっていようとも、原語を使い続けているわけである。

ちなみにNotoフォントのNotoは「no more tofu」の略らしい。文字化けしたときの□をgoogleは「豆腐」と読んでいて、これを取り除こうというコンセプトらしい。この主義主張には大いに賛同できるので、ボクは今、順次、ファンタジィ事典をNotoフォントに対応させている。ミャンマー文字を印字するためにMyanmar3フォントを、アヴェスター文字を印字するためにAhuramzdaフォントを、楔形文字を印字するためにAkkadianフォントをわざわざダウンロードしてインストールするのは大変だけれど、Notoフォントのパッケージをダウンロードすれば済むなら、その方が断然、いい。

NotoフォントのパッケージはGoogle Noto Fontsからダウンロードできるので、是非!!

2016年4月14日 妖怪ってそもそも創作物でしょう!?

ボクは「ファンタジィ事典」を編纂しているので、よく世界の妖怪について話題にする。でも、ボク自身は残念なことに、本物の妖怪に出会ったことはないし、正直なところ、その存在を信じているわけではない。でも、ボクが妖怪に惹かれるのは、そのリアリティだ。非近代的、あるいは非合理的というレッテルを貼られる妖怪だけれど、いつかの時点でどこかで誰かが信じていたというのが、とても魅力的なのである。

ボクの生涯において、唯一、その存在をリアルに信じた妖怪は、多分、「人面犬」だけである。都市伝説でいうところのいわゆる「友人の友人(Friend of friend)」というパターンで、小学生の頃、友人の塾での友達の友達が見たとか、隣のクラスの何某のお姉さんの友人が見たとか言われていて、ボクも夢中になって話を聞いた。小学生だったボクは、本気で「人面犬」の存在を信じていた。

リアリティの問題は難しくて、創作、たとえばテレビドラマや映画で演じられるホラーやファンタジィにもリアリティがある。ホラー映画を観た後に、何だか暗闇に何かいるような漠然とした不安に包まれる。漫画や小説を読んでドキドキしたりもする。キャプテン翼に憧れ、真似をしてサッカー選手になった人々はたくさんいる。彼らにとって、キャプテン翼の登場人物は憧れであり、目標になっただろう。

明確な版元があるものだって、いつかは実在のものになり得る。たとえば「ドラキュラ」や「フランケンシュタインの怪物」なんかはその典型例だ。ブラム・ストーカーやメアリー・シェリーの創作物は、いろんな人の作品の中に転用されて、今や独自の地位を築いている。ハロウィンになるとジャック・オ・ランタンや幽霊、狼男、魔女に混じって「ドラキュラ」や「フランケンシュタインの怪物」が描かれている。実はこいつらが小説家の創作だ、と知らないでいる人も多いかもしれない。J.R.R.トルキーンの創作した「オーク」もテーブル・トーク・ロールプレイング・ゲームの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の中で転用され、さも古い伝承に登場する妖怪のように振る舞っている。「オーク」が創作だなんて、ファンタジー小説の読者やテレビゲームのプレイヤの多くは知らないかもしれない。『ドラゴンクエスト』で有名なかわいらしい「スライム」だって、元々はブレナンの『沼の怪(Slime)』という小説が初出で、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に転用されながら、定着した妖怪と言える。そもそも、日本で一般に知られている鳥山明のかわいらしい絵柄のスライムも、本来のスライムからはかなりかけ離れて、独自の進化を遂げている。『ロマンシング・サガ』シリーズでスライムを見た友人が「ロマ・サガのスライムってキモいよね」と言っていたが、本来のスライムのイメージはこちらの方が正確だと思う(笑)。

水木しげるの創作した妖怪(樹木子や針女、百目など)も、今では市民権を得て(?)、正式な妖怪面をして、子供向けの妖怪関連書籍の中に掲載され、堂々と古い妖怪たちの中に混じっている。水木しげるが鬼太郎の仲間として描いている妖怪たち(「砂掛け婆」「一反木綿」「塗壁」など)も、その出典のほとんどは柳田國男の『妖怪談義』だが、水木の絵柄はほとんどオリジナルだ。そして、意外と日本では知られていないかもしれないが、ボルヘスの『幻獣辞典』に掲載されている「ア・バオ・ア・クゥー」も、実はボルヘスの創作だと指摘されていて、現時点では、英語のWikipediaでは明確に「fictional legendary creature」と説明が付されている。

結局、妖怪なんて、実在しないので(と言い切ると悲しくなるが)、いつかのどこかで誰かが創作したものである。それが特定され得る個人なのか、会社なのか、あるいは民族なのか、という違いはあれども、誰かが創作して、それをいろんな人が語り継いで、次第に広まっていったものだ。さすがにメジャーな任天堂のピカチューやレベルファイブのジバニャンがたちどころに古い妖怪たちの仲間入りをするとは思えないが、もう少しマイナな作品の創作物だったら、境界が曖昧になって、気付いたら子供向けの妖怪関連書籍の中で「妖怪」とカテゴライズされて紹介される、なんてこともあるかもしれないな、と感じる。ボクはその辺を明確に線引きするつもりはないし、そういう新しい創作物も含めて、妖怪にカテゴリィしながら整理していきたいなあ、と常々思っている。

2016年4月1日 アイヌ伝承の更新に着手したものの……

本日は世間一般ではエイプリル・フールで、ボクたちにとっては結婚記念日だけど、そんなこととは無関係に、ボクは黙々とファンタジィ事典を更新している。スーダンで準備していたアイヌ伝承だ。

正直、始めてみたものの、難しいな、と壁にぶつかっている。何しろ、資料が少ない。だから、ついつい「こういうことじゃないかな?」などと想像力でいろいろと補いたくなる。でも、その一方で、アイヌの人々が今でも語り継いでいる「生きた伝承」なのであって、ボクたちが勝手に想像力で補うものが間違っていることだってあり得る。それってアイヌの人々に対してとても失礼なことだ。

実はこういうことは、いつの時代のどこの地域の神話・伝承に対しても同じだ。たとえば、すでに信者のいない古代のギリシア神話であっても、その当時には生きた宗教だった。本気で信じていた人たちがいた。後代の人がいろいろと残された資料から類推して神話を再構築する。でも、その妥当性は実のところ分からない。たくさん資料が残っていて、あっちこっちで何度も言及されていることについてはある程度、妥当性があるかもしれない。でも、資料が少ない箇所になればなるほど、意外と見当外れだったりするかもしれない。当時を生きていた古代ギリシア人が現代にやってきたら「そんなんじゃないぞ!」と怒り出すかもしれない。大変、失礼なことである。

そんなわけだから、実は「ファンタジィ事典」の更新は、苦痛の連続だ。「所詮、趣味なのだから、好き勝手に楽しくやればいいじゃないか」という声もあるかもしれない。でも、苦痛を感じることが、事実を追求する人間の誠実さだと思う。あまりにいい加減なことを書いている本やウェブサイトがある。勿論、それはエンタメだと割り切ることもできるし、彼らの神話や宗教をベースに、創作に活用する場合には、自由にやってもいいと思う。でも、受け取り手がエンタメだと割り切って触れ合わないことが想定される場合(たとえば、古代ギリシア人は○○と考えていたなどと書く場合)には、やっぱり、誠実にやらなきゃいけないと思う。ヘーシオドスの言葉ではないが、「真実」と「真実らしいもの」は違う。ボクたちは「真実らしい」ものに飛びつく。でも、もっともっと「真実」に対して誠実であるべきだ。

そういう意味では、アイヌ伝承は、ボクにとっては手持ちのまだまだ資料が少なくって、「真実」を語れるほど咀嚼できていない、ということなのだろう。アイヌの人々から「そんなんじゃないぞ!」と叱られてしまうかもしれない。

でも、ボクの中で、ファンタジィ事典の一斉更新を、アイヌ伝承から始めようと心に決めてプロジェクトをスタートした。アイヌ伝承が終わったら、記紀神話、日本の妖怪、沖縄伝承……とやっつけていく算段だ。ぼちぼちと更新を始めたが、案外、もう少し時間が掛かるかもしれない。更新しては修正して……という繰り返しかもしれないし、そのうち、大幅に軌道修正するかもしれない。でも、取り敢えず、ゆるゆるとアイヌ伝承から着手したボクである。さてはて。どうなることやら。少なくとも「アイヌ語」の部分だけは事実を確認できるので、その辺は誠実にやっていこうと思う。

2016年2月29日 待望の文庫化!!

Amazonで注文していた本が届いた。その中のひとつを紹介する。それは『シュメール神話集成』(訳:杉勇/尾崎享,ちくま学芸文庫,2015年)である。11月に出版されていたらしい。ナイジェリアに行っているタイミングだったので、本屋でチェック漏れしていた。偶然、Amazonで検索していたときに発見した。

実はシュメル・アッカド神話を勉強する上で、外せない書籍がある。絶版になり、入手困難な『筑摩世界文学大系 1 古代オリエント集』(編:杉勇/三笠宮崇仁,筑摩書房,1978年)である。シュメル、アッカド、ウガリット、ヒッタイト、アラム、ペルシア、エジプトの文字資料を翻訳してくれていて、なかなか貴重。手に入らないわけではないが、今ならAmazonにて19,000円で購入できる。でも、高くてなかなか手が出せない代物だ。ボクが大学生の頃には、もうすでに絶版で、オークションで出回っている状況だったので、図書館で何度も借りて読んでいた。

電子書籍も普及した今、筑摩書房も、電子化するなり、文庫化して再販するなりすればいいのに、と思っていたが、ようやくシュメルの章の部分だけ、文庫化された格好だ。杉勇氏は随分前に亡くなっていて、今回、シュメルを担当した尾崎享氏の手で刊行された。この流れに乗っかって、アッカドやアラム、ヒッタイトやウガリットも文庫化されればいいのにな、と思う。特にアッカドの章には『エヌマ・エリシュ』も載っているので、是非、文庫化に期待したいところだ。頑張って、筑摩書房さん!!

2016年2月8日 ウェブサイト「日本神話・神社まとめ」

妖怪のツチグモを調べていたら、深みにハマって抜け出せなくなる。『古事記』や『日本書紀』だけじゃなくって、各地の風土記も読んでみたくなる。いずれにしても、朝廷に従わない豪族のことを「ツチグモ」と呼んでいたのだろうけれど、個人名になった途端、やけに女性の名前が多い。卑弥呼にしてもそうだけど、大昔の日本は女性シャーマンを首長に戴いているケースが多かったということなのだろうか。そういうパターンって、世界史を見てもあんまり見かけない気がするので、その辺を資料を通して確認したいな、と思っている次第。

そんな探索の途上で、「日本神話・神社まとめ」というウェブサイトを発見。いつの間にこんなウェブサイトが出来上がっていたんだろう。古事記・日本書紀と言えば、竹田恒泰さんの「皇室のきょうかしょ」というコラムの解説が多くて親切だな、と思っていたが、「日本神話・神社まとめ」もフランクかつ詳細に解説していて、読んでいて面白い。今後はこちらも参考にしようと思う。

2016年1月11日 シヌログ祭

セブのカウンターパートの執務室に行ったら、部屋中がピンクや黄色、緑の色紙でド派手に装飾されている。ボクはフィリピンなので、てっきりクリスマスの名残かな、と思った。あるいは1月なので、新年のお祝いの名残なのかもしれない。ところが、マム・ヘレンに説明を求めると、これはシヌログ祭の期間中だからだという。

フィリピン各地には町の守護聖人がいて、それを祝う「フィエスタ」という祭りがある。セブはマゼラン大佐が持ち込んだ幼きイエスの像「サント・ニーニョ」を祀る。これを祀ったお祭りが「シヌログ祭」で、9日間、続く。最終日には、幼きイエスの像が登場する。ホント、フィリピン人はお祭り大好きで、1年中、お祭りばっかりだ。

最近では、シヌログ祭といえば、ダンスの祭典として有名になっている。各地のダンス・チームの代表が集まって、町中で競い合うらしい。みんな、シヌログ祭への参加を勧めてくるが、残念ながら、本番は日曜日らしい。その頃には日本だ。あらまあ。残念。

2015年12月24日 分かりやすさのひとつの事例

『マンガ はじめて読むギリシア神話』を購入。こういういわゆる「初心者向け」の本にしては非常にいい。絵柄は今風の絵で、ギリシア神話同人誌的なお楽しみもたくさんあるが、監修をしている2人がちゃんとした専門家なので、漫画ならではの軽いノリがありながら、学問的な内容からは大きく外れていかない。それでいて、史学や文学だけでなく、流行りの漫画や芸能分野など、幅広いジャンルに言及していて、素晴らしいなあ、と思う。厳密に言えば、分かりやすさを追求している結果、異説・他説が漏れていくので、その部分は理解して読む必要があるだろう。でも、それは元々、両立できないので、いつだって、読者の側が了解しておくべき視点だ。

結構、この年になっても、児童書コーナに並ぶ、漫画で解説された書籍を手に取るボクだ。「分かりやすさ」を勉強しようと思ったら、児童書コーナを巡るのが一番の勉強法だ。元々、ボクは日本の歴史なんか、小学館の『学習まんが 少年少女日本の歴史』で学んだ口で、今でも桓武天皇とか足利尊氏とか、ついつい、あおむら純氏のイラストで想像してしまう。実はあんまり個性的な絵じゃない方が、こういう漫画の場合、本当はいい。その意味じゃ、大変、失礼な言い方になるかもしれないけれど、あおむら純氏の絵は最適だった。

この『ギリシア神話』の場合、伊勢田健一氏という人物(検索しても引っ掛からない!)がイラストを担当しているようだが、多少、クセはあって、全体的に美化されているとは言えるが、最近流行りの萌え要素も強調されていないし、もちろん、好みの問題はあるが、個人的には大きな違和感はない。こういうイラストを使った解説手法、もっともっと普及してもいいなあ。裾野が広がる。こういう手法だけが正解だとは思わないけれど、是非是非、学者先生には参考にしてもらいたい。

2015年11月30日 水木先生が亡くなられた

ナイジェリアで朝、目を覚まして「今、何時だろうか」とiPhoneのホームボタンを押したら、画面の真ん中に水木さんが亡くなったニュースが通知されていた。現地時間で4時30分の出来事。思わず、起き上がってしまった。

ボクは日本が大好きだ、と自称している割に、実のところ、あんまり日本の妖怪には興味がない。ファイナルファンタジーやウィザードリィなどのゲームから妖怪の世界に入ったという経緯もあるんだろうけれど、妖怪というと水木しげるの印象が強くって、幼い頃のボクには、あんまり好きな絵柄じゃなかったことも影響しているだろうな、と想像する。大人になった今となっては、迫力のある個性的な絵で、案外、好きなんだけれど。だから、ゲゲゲの鬼太郎も、実は大真面目に観たことがない。たまたまテレビをつけたらやっているので観た、くらいのものだ。

そんなボクなので、水木先生が亡くなっても、93歳だし、天寿を全うしたよなあ。大往生だよなあ、などと思う。その一方で、ああ、一時代が終わったなあ、という感慨もある。

日本の妖怪の好事家たちは、大なり小なり、水木しげるの影響を受けている。特に、一反木綿や塗壁、小豆洗いや子泣き爺など、彼の絵が与えたインパクトはあまりにも大きくて、それが彼の創作であるにも関わらず、なかなかそのイメージから抜け出せない。多分、多くの妖怪好事家たちは、必死にそのイメージから逃れよう、逃れよう、と抗っているのではないか。特にイラストやデザインを生業にしている人にとって、脱水木しげるは、大きな命題のはずだ。

絵やイメージのない妖怪をヴィジュアル化する。これって、簡単なようでとても難しいことだ。それをたくさんやってのけたのが水木先生で、その功績も大きい。絵にならない言葉だけの妖怪は、ポピュラーにはなり得ない。その意味じゃ、たくさんの妖怪ファンを生み出したはずだ。その一方で、イメージを固定化させたという弊害(などと言うとかなり言葉が過ぎるが!)もあって、この戦いは続いていくのだろう。それだけ偉大だったということなのだけれど。

そんなことを考えつつ、本日は水木先生に思いを馳せながら、ナイジェリアで粛々と業務をしていたよ、というお話。

2015年10月13日 「くじら座問題」と「ティアマト≠ドラゴン問題」

ツクル君はイヤイヤ期に突入で、何を言ってもまずは「やや!」と言って拒否する。「ご飯食べるよ」「やや!」「お風呂入るよ」「やや!」「服着るよ」「やや!」「歯、磨こう」「やや!」「ねんねするよ」「やや!」。まったく困ったものである。夕餉から睡眠までの毎日のルーチンワークが地獄のようであることよ。

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さて、近藤二郎さんの『わかってきた星座神話の起源 古代メソポタミアの星座』を読んでいる。星座と言えばギリシア・ローマ神話だけれど、その起源が、実はメソポタミアに遡れる、という視点でまとめられた本。たとえば「山羊座」と言えば上半身が山羊、下半身が魚の怪物だけれど、実はメソポタミアの水神エンキの象徴である上半身が山羊、下半身が魚の怪物スフルマシュに由来しているとか、「乙女座」が麦の穂とナツメヤシの葉を持っているのは、実はメソポタミアでは「畝」と「葉」という2つの星座だったとか、その内容は興味深い。でも、この本では、ボクがずぅっと懸案にしている「くじら座問題」は、結局、解けなかった。

「くじら座問題」(とボクが勝手に命名している!)というのは「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」とする説の真偽だ。そもそもの「くじら座」というのは、ギリシア神話では、ペルセウスとアンドロメダーのエピソードに登場する「海の怪物」のこと。簡単にあらすじを紹介すると、あるとき、エティオピア(現在のエチオピアとは場所が異なる!)の王妃カッシオペイアが調子に乗って「私はネーレーイス(海の精霊)たちよりも美しい!」などと自慢したため、ネーレーイスたちが怒って父親の海神ポセイドーンに「何とかしろ!」と泣きつき、ポセイドーンは海の怪物(ケートス)をエティオピアに差し向けた。困ったエティオピア王のケーペウスが神託を立てると、この怪物を鎮めるためには娘のアンドロメダーを差し出さなければならないという。そこで岩に王女アンドロメダーを縛り付けて怪物に捧げていたところ、ちょうど通りかかった英雄のペルセウスが怪物を退治して、アンドロメダーと結ばれた、めでたしめでたし、というお話。で、ここに登場する海の怪物(ケートス)を星座にしたのが「くじら座」、というわけ。ちなみに、このエピソードに登場するケーペウスもカッシオペイアーもアンドロメダーもペルセウスも、みんな星座になっている。

で、「くじら座問題」。インターネットで「くじら座」を検索すると、どうしてだか「海の怪物の名前はティアマト」と書いている頭のおかしいウェブサイトが大量に引っ掛かる。ん? ティアマトはアッカド神話の登場人物で、ギリシア神話には登場しないし、残念ながら(というほど残念ではないが)ボクは「海の怪物(ケートス)」の固有名詞を記載しているギリシア語文献に出会ったことがない。「海の怪物の名前はティアマト」という記述は間違いである。

もう少しだけましなウェブサイトになると「くじら座はメソポタミアではティアマト座」と書いてある。でも、ボクはこの出典がよく分からないでいる。そういうウェブサイトによれば、どうやら「ペルセウス座はメソポタミアではマルドゥク座」だったらしく、メソポタミアでマルドゥクがティアマトを退治した神話が、ギリシアではペルセウスがケートスを退治した神話になっている、ということらしい。バビロニアの主神マルドゥクが、単なる英雄に格下げになってしまうところには哀愁は漂うが、一見すると面白い解釈だ。でも、これ、本当なのだろうか。これがボクの掲げる「くじら座問題」だ。ずぅっと、いろんな本を読んでいて、この出典がよく分からない。

そもそもの近藤さんの本では、ペルセウス座に該当するところに記載があるのは「Old Man」であって、マルドゥクではない。くじら座に該当するところに至っては何の星座もない。つまり、古代メソポタミアの時代に、マルドゥク座とかティアマト座があったような印象が全ッ然、感じられない。それなのに、インターネット上には「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」という言説で溢れているのである。これ、何なのだろう。何の本が出典なのだろう。実は、英語で同様のキーワードで検索しても、同様のサイトがちょこちょこ引っ掛かるので、どうやら、これは日本だけで展開されている言説ではないようだ。

何故、ボクがこんなに「くじら座問題」にこだわっているのか、というと、この「くじら座問題」が、ひいてはtoroiaさんが提唱している「ティアマト≠ドラゴン問題」にも関わってくるからである。アッカド神話に登場する「ティアマト」は海水の女神さまで、多くの神々と怪物を生み出した母である。ところが、うるさいという理由で息子である神々を滅ぼそうと画策し、マルドゥク神に倒され、その身体は引き裂かれて、この世界の礎にされる。ちょっとウェブサイトで検索すると、ティアマト=ドラゴンと説明したサイトがたくさん見つかると思う。実際、ゲームなどではドラゴンとして描かれる。ところが、楔形文字の文献を見ても、容姿に関する記述はないし、「これがティアマト!」という絵も残されていないので、ティアマトがドラゴンであるという根拠は、実のところ、どこにもない。それでも、何故か巷ではティアマトはドラゴン、という言説が流れている。海外でもそう。でも、普通に神々を生み出した女神さまなので、人間の姿ではないか。

さて、ここで「くじら座問題」が重要になる。もし仮に「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」ということであれば、ティアマトは海の怪物であり、ドラゴンのような姿だったと想像されていた可能性が高まる。でも、残念ながら、ボクはこの説を支持する文献に出会わない。出会わないのに、巷では「くじら座の起源はティアマト」説が広く出回っている。うーん。この辺の謎を解明したくって、この近藤さんの本を読んでみたんだけど、少なくとも、この本を読む限り、「くじら座」はティアマトではなさそうだなあ。

「くじら座の起源がメソポタミアのティアマト」説、誰がどの本で唱えているんだろうか。