2017年9月15日 googleの届かない世界

googleで検索すれば大抵のことは分かると思っていたけれど、SNSで囲い込まれた世界は、しばしば、google先生の与り知らない世界になる。検索に引っかからない。pixivもそのひとつ。いろんな綺麗な絵があるけれど、その大半はgoogle画像検索で引っ掛からない。そんなわけで、そういう絵にアクセスするために、思い切って、pixivを始めてみた。せっかくなので、過去の自分の絵も載せてみて、見るだけでなく見てもらう方にも片足を突っ込んでみる(笑)。インターネットは世界をひとつにした、と言われるけれど、そのインターネットの中で、世界がこうやって細分化されていくのだから、皮肉なことだ。でも、多様化している。うーん、面白いなあ。こんな未来は想像しなかったなあ。学生のときには、世界はひとつになる、とボクは思い込んでいたなあ。

2016年12月30日 

年の瀬に新年の挨拶を必死で書いて封入しているボク。通常、年賀状は25日までに投函する必要がある。でも我が家はB5雑誌の形態をとっているので定形外郵便になる。年賀状扱いにはならないので、順次、発送されてしまう。だから、明日、郵便局に持って行って、2日到着の予定だ。今年はメッセージカードも作成してみた。毎年、試行錯誤である。

2016年9月4日 過去のイラストをアップロードし忘れていた件www

年賀雑誌の作成をしながら、過去の表紙の絵を整理していたら、2年前(未年)のケネムゥと昨年(申年)のイエティの絵をウェブサイトにアップしていないことに気がついた(笑)。慌ててウェブサイトにアップロード。何のために描いた絵だというのか!!

折角なので、ここにもあげておこうと思う。

■エジプト神話のケネムゥ神

ケネムゥ

意外とヒツジに関連する妖怪っていないので困っている。次の未年には何を描いたらいいのだろうか。うーん。轆轤で人間を創った神さまなので、轆轤を回しているところ。一応、少し時代が経って、2種類の角がついているヴァージョンを描いてみた。すでに真横に角が伸びたヒツジは絶滅しているので、現実には巻いた角のヒツジしかいなかった時代に、苦肉の策で両方の角があるケネムゥ神(笑)。

■未確認生物のイエティ

イエティ

ジェッソで雪を描くという新しいことに挑戦。イラストそのものはデイリー紙のイエティ像をそのまんま採用したので、まあ、デザイン的には普通。足を小さくしてグロテスクな感じにしたところがオリジナリティと言えば、オリジナリティ(笑)?

2016年8月28日 鳥の妖怪はたくさんいるんだけど……

来月からパキスタンに行く。9月16日から11月14日までの予定で、ちょうど60日間の渡航だ。新しい国に行くときには、やっぱりそれなりに不安だし、緊張している。

そんなわけで(どんな訳で?)、そろそろ年賀雑誌の構想を練らねばと思っていて、すでにいくつか素材集めとデザインを開始した。意外と時間がないのである。

ちぃ子(妻)はすでに見開き1ページをほぼ完成させている。ボクも2ページくらいは7割方出来上がっていて、今、表紙のデザインに着手している。

毎年、神話・伝承を題材にしている。酉年なので「鳥」関連で攻めたいところで、実のところ、いろんなアイディアがあったのだが、今年も変なものをチョイスしてみた。ラフ・スケッチは完了。このイメージのまんま、完成まで持っていければいいなあ。

2016年4月6日 手ブレも怖くない!?

同僚のスーさん、どうやら、送別会の写真撮影に失敗したらしい。フラッシュを焚いていないので、真っ暗だし、手ブレが酷い。現像して渡すことを意図していたらしいが、ご破算になってしまった模様。やっちまったなーッ。

本日、何とかならないか、と電話にて相談を受けたので、Photoshopを立ち上げて、いろいろと試行錯誤してみる。暗いのは簡単だ。色調補正で何とかなる。明るくして、顔が見えるようにできた。でも、手ブレは難しい。CCだと手ブレ補正の機能が最初っから搭載されているようで、なかなか評判がいい。でも、我が家のPhotoshopはCS5なので、いろいろとぼかし機能を駆使して、それっぽく再現する。

まあまあの出来ではないか。早速、写真をスーさんに送り返す。きっとそれなりのクオリティで現像できることだろう。何だ、ある程度の手ブレなら怖くないじゃないか、と思ってしまった。

カメラの腕なんかなくても、Photoshopである程度の補正が出来てしまう時代である(悲)。

2015年12月10日 恒例の雑誌作成。

毎年恒例の雑誌作成。いよいよ作業は佳境に入った。本日、最終的な修正作業をして、ちぃ子に提出した。彼女が最終校正をしたら、印刷屋さんに発注だ。ナイジェリアの渡航前に粗方、完成はさせていたが、それでも、ナイジェリアに持って行ったゲラ刷りを眺めながら、あちこち、修正箇所を見つけたり、再度、アイディアを詰め込んだりした。そんなわけで、ボクとしての作業は本日、ようやく終了。ちぃ子から指摘がなければ、文字をアウトライン化して、いよいよ印刷だ。

毎年のルーチンになったとは言え、実は、結構大変である。12月は仕事も忙しくなるし、飲み会も続くので、その合間を縫っての作業だ。でも、とても楽しい。共同作業というのが、一番の醍醐味だろう。一人だけだったら、もっと独善的な作業になると思う。ああでもないこうでもない、と二人でアイディアを出し合いながら、よりよいものにしていく。その作業を毎年続けていることは、きっと、夫婦関係にもいい影響を及ぼしているだろう、と想像する。

個人的には今回、表紙の絵が一番の挑戦である。構図的にも題材的にもひねってはいない。でも、ジェッソという普段使わない画材を使ってみた。こうしてみたい、というイメージがあって、そのイメージのために画材を選んだ。意外とうまく行ったのではないか。乞うご期待。

そんなわけで、雑誌をご所望の方がいれば連絡を。住所をメールいただければ、1月1日を目指して発送する所存。

2015年11月30日 水木先生が亡くなられた

ナイジェリアで朝、目を覚まして「今、何時だろうか」とiPhoneのホームボタンを押したら、画面の真ん中に水木さんが亡くなったニュースが通知されていた。現地時間で4時30分の出来事。思わず、起き上がってしまった。

ボクは日本が大好きだ、と自称している割に、実のところ、あんまり日本の妖怪には興味がない。ファイナルファンタジーやウィザードリィなどのゲームから妖怪の世界に入ったという経緯もあるんだろうけれど、妖怪というと水木しげるの印象が強くって、幼い頃のボクには、あんまり好きな絵柄じゃなかったことも影響しているだろうな、と想像する。大人になった今となっては、迫力のある個性的な絵で、案外、好きなんだけれど。だから、ゲゲゲの鬼太郎も、実は大真面目に観たことがない。たまたまテレビをつけたらやっているので観た、くらいのものだ。

そんなボクなので、水木先生が亡くなっても、93歳だし、天寿を全うしたよなあ。大往生だよなあ、などと思う。その一方で、ああ、一時代が終わったなあ、という感慨もある。

日本の妖怪の好事家たちは、大なり小なり、水木しげるの影響を受けている。特に、一反木綿や塗壁、小豆洗いや子泣き爺など、彼の絵が与えたインパクトはあまりにも大きくて、それが彼の創作であるにも関わらず、なかなかそのイメージから抜け出せない。多分、多くの妖怪好事家たちは、必死にそのイメージから逃れよう、逃れよう、と抗っているのではないか。特にイラストやデザインを生業にしている人にとって、脱水木しげるは、大きな命題のはずだ。

絵やイメージのない妖怪をヴィジュアル化する。これって、簡単なようでとても難しいことだ。それをたくさんやってのけたのが水木先生で、その功績も大きい。絵にならない言葉だけの妖怪は、ポピュラーにはなり得ない。その意味じゃ、たくさんの妖怪ファンを生み出したはずだ。その一方で、イメージを固定化させたという弊害(などと言うとかなり言葉が過ぎるが!)もあって、この戦いは続いていくのだろう。それだけ偉大だったということなのだけれど。

そんなことを考えつつ、本日は水木先生に思いを馳せながら、ナイジェリアで粛々と業務をしていたよ、というお話。

2015年10月5日 プロフェッショナルでない人々

最近、雑誌をつくるのにも慣れてきて、PhotoShopやIllustratorを使って、ちょいちょいと画像加工したり、デザインしたりできるようになってきた。せのせいで、プロのつくった雑誌を見ていても、下手だなあ、と感じることが多くなってきた。意外とプロだからと言って、PhotoShopを使いこなせているわけでもないし、デザインがいいわけでもない。髪の毛をちゃんと切り取れていなかったり、変な色を組み合わせていたり、配置がおかしかったりする。その一方で、実は簡単なことなんだけど、小手先の技術で工夫していて、意外とうまく誤魔化しているな、と関心することもある。

つまり、そんなもんなのだ。プロだからって、みんながプロフェッショナルなわけじゃない。出来ていない部分もある。それでもちゃんと仕事になるのだ。大事なことは、ちゃんと納期までに完成させて、納品する、ということ。そうすれば生計が立てられる。完璧にプロフェッショナルに徹することが「プロ」のお仕事ではないのである。

実は、今回、ある雑誌の取材に応じていた。その完成品が届いた。デザインがひどくってガッカリしたのだ。ボクの写真を撮って、切り取って加工しているんだけれど、髪の毛を直線で切り取ってしまっているから、ヘルメットみたいになっている。本当はボサボサだったはずなのに。のっぺりしている。ひどいクオリティ。でも、それでも彼らはお仕事になるのだ。

だから、頑張ればプロになれるよ、という話。与えられた仕事を一定水準でこなせれば、プロになれる。だから、やってみればいいよ、という明るいお話。わははは。

2015年9月9日 持続可能なデザイン

ボクが趣味で雑誌を作っていることや、海外に派遣されたときにきれいな週報を作っていることの影響だと思うんだけど、社内報の作成を命じられている。ありがたいことだ。でも、個人的な趣味の世界と会社のお仕事の世界では「持続可能性」の考え方が大きく違う。

たとえば、去年までつくっていたイベントのポスターも、会社パンフレットやウェブサイトのデザインも、今回の会社の社内報もそうだけど、もしも一度限りのことであれば、ボクもPhotoShopやIllustratorを駆使して、凝ったものを全身全霊でつくるだろう。でも、会社のお仕事の場合、実際には一度限りではなくって、今後も続いていく。ボクの手を離れて、ボクがいなくなっても、誰かがそれを受け継いで、作業に従事する。そのときに、才能がなくても、技術や知識がなくても、ある程度、形になるような仕様にしなければならない。

デザイン会社に委託するみたいなお金の掛け方が許されるなら、そんなことは考えなくてもいい。でも、大抵の場合、ボクに頼む時点で、「出来る人がいるじゃん! 経費を掛けずに出来る社員でやろう」という安直で浅ましい発想がある。それでいて、ボクの趣味の世界でのクオリティを期待される。でも、それはとても難しいし、しんどい。

いろいろと思案しながら、WordやPowerPointを使って出来る範囲でデザイン作業を進めている。そうしたら、本日、社長から、他社(かなりの大手)の社内報をサンプルとして提示される。本格的な、いわゆるそれなりの部署がデザイン会社に頼んでお金を使って作ったものだ。こんなものをゴールに提示されてしまうと、Wordで作ろうとしているボクとしては困ってしまう。ホント、困ったなあ。

* * *

最近、佐野さんの五輪エンブレムの問題で、デザインの本質とは何か、みたいな議論が巻き起こっている。装飾だけではなく、課題解決や価値提案などのコンセプトも含めてデザインだ、というわけ。ボクはデザイナじゃないけど、でも、実は、ボクもそのとおりだと思う。今回の社内報で言えば「キレイさ」よりも「持続可能」が重視されるべきだ、とボクは思う。そのコンセプトや思考のプロセスをちゃんと説明することが、デザイナの仕事だと思う。

2015年8月5日 芸術にバックグランドは必要か!?

たまたまテレビをつけたら「U-18歌うま甲子園」がやっていた。みんな、非常にうまい。プロ顔負けだ。歌がうまいっていいよねえ。羨ましい。でも、最終的にはカラオケ・マシンの採点で評価されてしまうところに、妙なおかしさとバカバカしさがある。評価が低くても、「まあ、カラオケ・マシンの採点だし」みたいな割り切りが出来るのも、シリアスにならないところか。

でも、カラオケ・マシンの評価の精度は確実に向上しているな、と感じた。ちゃんと歌のうまさが反映されている。一昔前だったら、正しい音程で、のっぺりとまっすぐ音を伸ばして、変に色気を出さない方が高得点だった。今は音程、声量、ロングトーン、ビブラート、しゃくりなど、いろんな要素で評価されていて、しかも、それなりに結果が妥当だな、と感じる。技術の進歩は目覚しい。そのうち、機械も音楽を演奏できる時代になっちゃうかもしれない。

それにしても、テレビ番組なので、高校生ヴォーカリストたちの生い立ちとか人となりを紹介してから歌わせることになる。そうなると、感傷的な人は、そういう事前情報に流されて涙を流したりする。どうしても、芸術って主観的な評価になるよなあ、と痛感する。どうしたって、生い立ちとセットで音楽を評価してしまう。事前VTRで「想いを伝えたい」というヴォーカルの主義を前面に押し出した特集がなされていて、おのののかや柴田理恵が歌を聴いて涙していた。でも、ボクはちょっと一歩引いていた。や、歌はうまかった。高い音も低い音も非常に上手。コントロールされていた。でも、スタジオでは「想いを伝えられる歌」という感想になってしまった。そういう評価は少し違うのではないか、と思う。それって生い立ちを前提とした感想で、そういう事前のVTRがなかったら、多分、コメントは違うものになっていた。そういうのが、芸術の難しいところである。歌のうまさは、本来、いろいろなバックグラウンドとは無関係なはずなんだけど、必ずしも、そうはならないところが芸術の面白いところであり、難しいところだよなあ。

2015年1月15日 作品と作者をうまく切り分けられない

桑田佳祐が年末のLIVEの演出について謝罪したらしい。あれだけ好き勝手やっておいて謝罪するなんて、ダサいなあ。言いたい人には言わせておけばいいのに。まあ、それだけ右翼が面倒くさい、ということの証左なのかもしれない。事務所サイドの都合かもしれない。

正直、ボクはサザンが好きなわけでも、桑田佳祐が好きなわけでもないのだけれど、『ピースとハイライト』は好きだった。生温ーい歌詞ではあるんだけど、でも、共感できた。PVもちょっと過激だったけど、エンターテイメントになっていた。復活したサザンのこれからに、ちょっとした期待感があった。

本来、作品の価値は作品でしか決まらない。でも、今回のように、こうやって謝罪されてしまうと、作品の自己否定みたいな感じがして、作品の価値まで一緒になって下がってしまったように感じられるから不思議だ。ボクの中で、一気に『ピースとハイライト』の歌詞が薄っぺらく感じられちゃう。でも、それってボクがまだ作品と作者を混同して、うまく切り分けられていない証拠なのかもしれない。

『ピースとハイライト』、好きだったのになあ。好きだっただけにちょっとガッカリした、という感じ?

2015年1月2日 近況報告の本

今年も無事に「近況報告の本」を発行することができた。毎年、1月1日に発行している雑誌。名前やスタイルを少しずつ変えながらも、これで4冊目。


2015年の「近況報告の本」!!

今回、入稿の直前は、ナイジェリアに行く準備で正直、バタバタしていた。だから、実のところ、クオリティには満足していない。こういうのは、珍しいことだ。基本、いつも大満足のボクである。

本当なら、もう少し文章も推敲したかったし、余白とか文字の配置のバランスとか色とかを修正したかった。でも、まあ、仕方がない。期限までに間に合わせる。それが出来ただけでも及第点だ。

内容はどんどんマニアックになっていく。表紙はエジプト神話のケネムゥ(クヌム)だし、中身もフィリピンの妖怪特集だ(笑)。当初の雑誌は、もっと、珈琲とかイタリアンとか燻製とか、そういう趣味のページが多かった。

今回は半分以上がちぃ子の手によるもの。ボクは少し修正しただけ。それでも、それなりのクオリティになっているのだから、ちぃ子も成長したものだ。完璧にイラストレータとフォトショップを使い熟している。そういう点では、非常に助かっている。年に一度、二人で真剣になってやる共同作業。それがとても楽しい。

2014年10月27日 逆に英語から日本語に!?

黄熱の予防接種を受けた。だから、本日はアルコール厳禁ディ。そして過度な運動厳禁ディ。それなのに、グズるツクル君を抱えて家の中で走り回ってあやす。それから、はた、と、ああ、今日は過度な運動厳禁ディだった、と思い出す。あははー。

* * *

英語で作ったPowerPointを日本語にする作業って、何だかなあ、という感じ。しかも、英語だと単語が長くって、配置するのが大変だったのに、日本語にすると、今度はスカスカになっちゃっう。まさに、言語の違いである。でも、表記上は英語の方が文字数が多いんだけど、発音すると、日本語でも英語でも、大体同じくらいの時間なのだ、と昔、本で読んだ。だから、英語を聞き取るのは大変なのである。

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雑誌の表紙用の羊の絵。本日、無事に丸ペンによる線画が完成。明日はコピックで彩色しよう、と思う。うむ。

2014年10月26日 久々に落書きディ!!

久々に集中して妖怪の絵なんか描いてしまった。鉛筆で一気にがががーっと下絵を描いて、それから丸ペンでぐいぐいと線画を仕上げて、PhotoShopでベタ塗りで彩色。あっという間に2つも描いてしまう。多分、1時間ちょっとじゃないかな。どちらもフィリピンの妖怪。このくらいのクオリティなら、ガンガン行ける。もっと定期的に絵を描くようにしたいなあ、と思った。絵があった方が、楽しいファンタジィ事典になると思う。

残念ながら、今回の2枚は雑誌に使うことを意図して描かれているので、1月になるまでは非公開。乞うご期待。とは言え、本音じゃ、さっさと公開したいなあ。来週中にもう一枚、羊の絵を描いて、それで雑誌用の絵はおしまいだ。頑張るぞー。なんか、楽しいじゃん!! コピックよりもPhotoShopの方が楽チンかもしれない。でも、ベタ塗り限定だ(笑)。濃淡つけたり色を重ねたり、という芸当は、PhotoShopじゃ出来ないなあ、ボクは。

2014年10月1日 雑誌の作成、始動!!

さて、恒例の新年の雑誌づくりが本日、ようやく本格的に動き出した。ちぃ子はちょっと前から、すでに着々と準備を進めているようで、裏表紙の絵を完成させて、見開き1ページの構想を練っている。ボクも表紙の絵に着手する。そして、見開き1ページの企画を考え始める。さあ、だんだん楽しくなってきたぞ。

やっぱり、こうやって毎年、続ける、というのがいいよね。張り合いもあるし、クリエイティヴな脳が一気に覚醒して活性化する。ほら。ついつい忙しさに感けて、さ。創作活動をないがしろにしちゃうボクだ。でも、こうやって無理やりにきっかけをつくれば頑張れる。静摩擦を蹴っ飛ばして、動摩擦の世界にシフトするってわけだ。動摩擦係数なら戦えるぞ。ふふふ。

今年はツクルくんも生まれて、なかなか家では落ち着かないボクたち。そんな中で、さてはて、どうなることやら。

2014年7月6日 台本。

「ドリームマッチ2014」をやっていた。ノンスタ石田×ナイツ塙は確かに面白かった。でも、ボクとしてはウーマン村本×ノブコブ吉村が印象的だったな、と思っている。ただ残念なのは、最後まで、台本であることをネタ晴らししなかった点。どう考えたって、村本さんの書きそうな台本だ。台本もなくアドリブで突っ走って、あんなに面白くなるはずがないし、怖くてあんな冒険はできない。もしも、最後の最後に、「吉村くん、僕の台本どおりにやってくれてありがとう!」と握手して終わったら、完璧なオチになった、と思う。観ていて爽快感を得られたと思う。そういうサービス精神がなかったな、と思う。

2014年5月19日 Aska逮捕に思う。

Askaの逮捕で業界は激震かも知れない。でも、ちょっと前に実名で報道されていたので、ボクとしては、あんまりビックリはしない。「やっぱりな。まあ、そうだろうな」くらいの感覚。あの当時から、名誉毀損で大っぴらに戦わないのだから、やっぱり、やましいことがあったのだ。でも、チャゲ&飛鳥か大好きな友人を何人か知っているので、彼らにとってはショックだろうなあ。

レコード会社がCDやDVDの回収を始めたらしい。毎回、思うのは、それって必要なことなのかってこと。誰かに命令されているわけじゃない。あくまでも自主的な回収だ。バカじゃないか、と思う。

確かに楽曲は飛鳥(あるいはAska)の名義で世に出てはいるけど、当然、この回収はチャゲにも影響は出るし、関わってきたスタッフにも影響が出る。CD制作というのは、何も、彼一人だけでやっていることじゃない。いろんな人の関与があってCDが出来上がる。録音にもデザインにも企画にも流通にも製作にもいろんな人が関わっていて、ようやく店舗に並ぶ。Askaに対する制裁のためだけに自主回収をする。あるいは販売元のバッシング対策のために自主回収する。それってどうなのだろう。スタッフや関係者が払った労力や経費はどう感上げているのか。大体、回収したCDは捨てられるのだろう。ジャケットのプラスティックやら紙やら、今までの流通にかかったエネルギィやらがドブに捨てられる。それって大きな資源の無駄遣いだ、とボクは思う。AKB48のCDが捨てられていることについて議論されているけれど、見えないところで同じことが行われる。とても「Mottainai」の精神を持つ国の人間がやることではない。

食品に農薬が混入したとか、化粧品で湿疹が出たとか、そういう商品の回収は分かる。それは必要な廃棄だ。でも、何かを作れば、物質を消費する。エネルギィを消費する。そうやって地球に負荷を与えたものを、くだらない理由でドブに捨てるのって、どうなんだろうね。社会として、間違っている、とボクは思うけど。どう思う?

大体、もしも、販売元が「いい作品を提供してきた」という矜持があるのなら、何があってもそれを守るべきだ、と思っている。佐村河内さんのときにも書いたけど、本来の芸術って、作者の人格や経歴、エピソードとは無関係だ。そういう「作品」を守ろうとしない販売元って、プライドがないよね。どこだっけ? ユニバーサル? 大手なのにね。

2014年3月17日 また、小説を書きたい

宇宙コンビニとかMAMADRIVEとか、最近もどんどん新しいアーティストが誕生している。いいなあ。すごくいい。ちょっと前ならゲスの極み乙女。もいいし、東京カランコロンもいいな、と思っていた。パスピエもいいよね。若手が育つというのは、ものすごくいいことだ。でも、売れているアーティストがいいか、というと、これは……ちょっと微妙だな、と思う。

* * *

久々に小説を書きたい衝動に駆られた。理由は分からない。でも、久々に自分の書いた小説を読んでみたりして、ああ、面白いな、と自画自賛したりして、今だったらどういうアウトプットになるだろうか、と真剣に考えてしまった。学生時代に書いたものは学生時代に書いたもの。社会人になって、中堅になったボクとしては、価値観や考え方に変化が出ただろうか。うーん。あんまり変わっていないような気がするんだけど、アウトプットしてみたら、全ッ然、違うものが出来そうな気もする。そういう衝動に駆られた日だった。

まあ、ね。せっかく、そういう衝動に駆られたのだから、その衝動を大切にして、そのまんま突っ走ってしまおうか、と思ったりもする。

2014年3月12日 縦と横

縦と横。ドストエフスキーやスタンダールの作品みたいだな。

紙の国際規格はA列だと思っているんだけど、鉄道の車両に掲載するポスタはB3らしい。きっと歴史的な経緯があるのだろう。まあ、A列でもB列でも縦横比は1:√2で同じなので、特には問題にならないのかもしれない。

というわけで、今年も粛々とポスター作成だ。今年は鉄道車両にもポスタを掲載するらしいので、ボクとしては張り切っている。でも、困ったことに、例年A3縦でデザインしてきて、これで定型になっている。でも、鉄道用にB3横にしなきゃならない。縦と横では大違い。同じものを2種類作らなきゃいけない。
みんなは「すでに文章も素材もあってデザインがあるんだから、それを横にするだけだ」などと言う。でも、そうじゃない。文章や素材なんて二の次だ。それ以上に、配置や余白が重要で、そこが一番肝要だ。多分、ちょっとフォントが変わっただけで、がらがらぽん、と雰囲気が変わる世界で、ちょっと文字の大きさや素材の大きさ、配置が変わっただけで、印象が変わる。逆に文章と素材がフィックスなので、拘束される。変な余白とか出来ちゃうので、むしろ、四苦八苦だ。

でも、頑張ろう。ボクのポスタが鉄道に掲載されるのだ。

2014年2月23日 エーゲ海クルーズ

久々に実家に帰る。父上様の誕生日のお祝いに、オリジナル・デザインのワインを持って帰ったのだ。なかなかの出来映えだ、と思う。白ワインにぴったり。エーゲ海っぽいデザインだ。ギリシアでエーゲ海クルーズしたときの印象が、このデザインに繋がっている、と思う。

オリジナル・デザインのワイン
オリジナル・デザインのワイン

最近、父上様は自らScanSnapを購入して自炊していたらしい。ボクたちが実家に帰っているのに、黙々と自炊に没頭している。12月に実家に帰ったときに、試しにScanSnapを持って帰って、ボク以上に本の虫である父に紹介してみたわけだけど、どうやら、影響を与えてしまったようだ。我が家のScanSnapよりも稼働率が高い。明らかにオーバ・ワークだ。

そうそう。もうひとつ。実家にスープ・メーカがあった。我が家も、焼き鳥メーカとかたこ焼きメーカ、人形焼メーカ、海苔巻きメーカなど、いろんな家電が増殖しているけれど、実家でも、こういうピン・ポイントの家電が増殖しているらしい。それが面白くって、ついつい笑ってしまった。こういうのも、ボクの影響かもしれない。