2017年8月11日 魔王オディオ!!

『LIVE A LIVE』というトラウマ系ゲームがある。ボクが中学生の頃のスクウェア社のゲームだ。シナリオはかなり攻めていて、言葉のない世界もあれば、主人公が途中で交代する世界もあれば、戦闘のない世界もある。結局、魔王は不在で、絶望した勇者が最終的には自ら魔王になって世界に襲い掛かる。音楽は激情型コンポーザの下村陽子氏で、オケヒとエレキを多用した荒々しいボス・バトルに多くの人が魅了された。

ももいろクローバーZの新曲『BLAST!』のカップリング曲の「境界のペンデュラム」のPVがYouTubeにアップされたので視聴したら、パイプオルガンが鳴り始め、格好いいなあと思っていたら、突然、この『LIVE A LIVE』の「魔王オディオ」のフレーズが流れてビックリした。最初、似ているのかなと思ったが、全く同じ楽器構成、コード進行、旋律だ。思わずGoogle先生に「境界のペンデュラム パクり」と問うてしまった。実際にはパクりではなく、ちゃんと許可を得てモティーフに取り入れたものらしい。

例えば、大森靖子の『夢幻クライマックス』はショパンの「革命のエチュード」で始まったかと思ったらベートーヴェンの「月光 第三楽章」になるというてんこ盛りな変則。例えば、SEKAI NO OWARIの『Love the warz』は同じく「月光 第一楽章」のピアノ旋律を下敷きにして、ヴォーカルがのっかっていく。実のところ、ボクもサワハト氏に頼まれてつくったRPG「Hello the world」のボスバトルの楽曲にはスメタナの「モルダウ」のヴァイオリン旋律をモティーフに用いた。クラシックだったらよくあることだ。でも、最近の楽曲(1994年だけれども)をこうやってモティーフにするというのは斬新で、なかなか面白いな、と思う。

今でこそ死に体みたいなスクウェアだけれども、まさにボクの子供の頃の、彼らの全盛期の音楽を持ってこられてしまうと、ももクロどうこうではなく、何だか無性に懐かしくなって、叫びだしたくなってしまう(笑)。

2017年6月20日 そしてなにより、歌うのが好き

Youtubeを巡っていると、たまに面白いアーティストに出逢う。発声がイイ。歌詞が熱い。そして自己紹介の歌をつくるという発想。的確に自己紹介できている。でも、これ、19歳の歌だけど、20歳になった今、どうやって歌うんだろう?

2017年5月10日 古屋兎丸ってメジャーだっけ!?

最近、古屋兎丸の漫画が書店で平積みされている。彼はアングラ作家だと認識していたボクとしてはビックリしている。『帝一の國』が映画化されたというのは大きいが、彼の作品は昔から根強いファンがいて、劇脚本化もされていたわけで、映画のメジャー度合ってすごいな、とも思う。売れているということなのだろう。

もしかしたら、音楽も漫画も同様で、価値観が多様化して、ニーズが多様化しているので、一極集中ではなく、いろんなものが売れる時代になっているのかもしれない。だからこそ、アングラ志向の音楽や漫画も表に出てきて、日の目を見ている。そういう意味では、いい時代になったなあ、と思う。

『帝一の國』は完全にギャグ漫画で、キャラクタの個性が立っていて、いい意味でも悪い意味でも同人受けしそうな感じ。どのキャラクタで組み立てても、面白いドラマが描けそうなので、その辺は兎丸さんも上手だ。そして熱血学園ものなので、大衆受けしそうだ。それでも、大真面目なギャグ漫画なので、やっぱりアングラ志向だよなあ。わっはっは。

2017年5月5日 クラシック音楽を聴きながら過ごすゴールデンウィーク

両親が二人ともチェロを弾く。趣味の楽団に入っていて、その演奏会がゴールデンウィーク真っ只中の5日にあった。練習している二人を見た3歳の息子のツクル氏が「演奏会、行きたい!」などと言うので、試しに連れて行ってみた。退屈かな、と思っていたが、目をキラキラさせて聞いている。素敵なことである。モーツァルトとメンデルスゾーンだったが、メンデルスゾーンはピチカートがあって、そういう面白さは伝わるらしく、身体を起こして聞いている。

そんなワケで、我が家に久々にクラシック音楽ライフが戻って来た。昔はボクもよく聞いていたが、ここのところ、ご無沙汰だった。最近では、著作権切れの演奏もフリーで手に入る時代だし、音楽環境はかなり変わりつつある。サン=サーンスの「死の舞踏」が聴きたいなあ、と思ったら、フリーで落ちていた。演奏はそこそこだが、でも、ボクは演奏よりもどちらかと言えば、作曲家の視点で音楽を聞くので、それはそれでよい。

ゴールデンウィークは大音量でクラシックが流れている我が家である。

2017年5月1日 なかったことにされてしまうのが嫌なので。

いるま嬢が一昨日、新譜のMVを公開していた。予定は把握していたが、うっかり失念していた。

今の時代、音楽は音だけでなく、映像もセットらしい。映像がないと、そしてYoutubeにアップロードされないと、なかったことにされてしまう。そんな風に大森靖子が言っていて、はたと、ああ、そうだなあ、と痛感した。Youtubeをきっかけに新しいアーティストを知ることも多くなったし、膨大な楽曲があるはずなのに、Youtubeを梯子して、そのアーティストの楽曲を知った気になったりすることも多い。Youtubeを介してしか触れ合わない音楽が圧倒的に多くなっている。だから「なかったことにされてしまう」というのは、決して過大な表現ではない。そういう意味じゃ、あまりガンガンと新譜を出さないいるま嬢が、こうしてMVを引っ提げてやって来るというのは、非常にいいことである。

いるま嬢の良さというよりは、ヴァイオリンとギターを全面に押し出したような楽曲で、彼らの魅力が存分に堪能できる。その一歩引いた感じも、また、面白いな、と感じる。プロデューサだなあ、彼女は。

2017年3月22日 ピーーーーーーーーーーーーーーーー!!

大森靖子が3rd album『kitixxxgaia』を発売した。これ、タイトル変更の要請がどこかからあったようだが、彼女は拒み、結果として表記を変えたようだ。その中の1曲目が『ドグマ・マグマ』なのだが、その中にも放送禁止用語があって、テレビで歌ったときには歌詞を変えて歌っていた。

ボクは放送禁止用語の意味が分からない。差別用語というのも、よく分からない。言葉そのものには悪意はない。使う人間の側に悪意があるだけだ。悪意ある人間が発すれば言葉は攻撃になるし、差別になる。でも、そういう意図なく使われる言葉には悪意も差別意識もない。無自覚に差別を助長する要素が言葉があるのだとしたら、正されるべきは言葉ではなくって文化の側だ。言葉は所詮、表層だ。

今でも、真っ先に言葉が槍玉にあげられるのだなあ、と思う。下品極まりない番組や偏向報道、目を覆いたくなるような性表現は横に置かれて、表層の言葉にだけ、アンテナを張って、それで安全を主張する。

ボクはこのアルバムの元のタイトルを規制することよりも、コンビニのエロ本を排除することの方が先だと思うし、それこそ女性蔑視だと思う。『ドグマ・マグマ』の歌詞を変えて歌わせるよりも先に、過激なYoutubeやニコニコ動画を規制した方が健全な社会になると思う。大事なことは、ルールとかレギュレーションではなくって、本質だ。「キ○ガイ」やF-wordはダメというルールの遵守が大切なのではなくって、社会に存在する悪意を排除することだ。そこを横において言葉だけを狩っていても誰も救われない。

って、全然、音楽の感想じゃねえや。まあ、いいか。

2017年2月3日 ダダイズム、ダダイズム!!

体調不調である。全身、筋肉痛みたいになっていてダルい。まあ、飛行機移動の疲れもあるのだろうと自己分析して、早々にベッドイン。ゲスの極み乙女。をガンガンに流しながら就寝。以下、だらだらと書くが、最近、休日課長が立ち上げたDADARAYというバンドは結局、作詞作曲が絵音なわけで、活動停止って何だろか、と思わないでもない。でも、そういう意味でダダイズムなのかもしれない(笑)。中盤のベースが格好いいなあ。本音を言えば、ボク自身は、そもそも活動停止するほどのことではなかったと認識しているので(などと書くと各方面から攻撃されそうだが)、まあ、こういう形でゆるゆる活動するのもいいのではないか、と内心では思っている。いずれにしても、発売予定だったアルバムの『シア ワセ林檎』があまりにいい楽曲なので、いずれは発売して欲しいなあ。ぶつぶつぶつ。

2016年8月25日 まんがだからってバカにできないシリーズ

『死者の書 まんがで読破』が比較的、面白かった。主人公のトトがいきなり蛇に咬まれて死んでしまい、死者の書を片手に冥界に行き、苦難をくぐり抜け、オシリスの審判を受けて、イアルの野に行くという物語。オシリス神殿で暗闇を抜けたら、ずらり、と神さまが勢ぞろいして並んでいるシーンは非常に壮観で、感動した。マンガならではの演出だ。

実は同じシリーズの『日本書紀 まんがで読破』も、中身としてはかなり簡略化していて物足りない部分はあるが、絵が印象的で面白かった。ああ、神さまが動いている、という感じがした。『コーラン まんがで読破』もイスラームの思想や文化、歴史などを説明しながら、コーランに何が書いてあるかを簡単に学べて、なかなか興味深い。

このシリーズ、意外と調べて書いている印象があって、入門書としてはかなりオススメだと思う。神話だけじゃなくって、ドストエフスキーの『罪と罰』やゲーテの『ファウスト』みたいな文学作品やマクベスの『資本論』とかカントの『純粋理性批判』みたいな哲学書(?)もあったりするので、楽しいなあ、と思っている。

2016年6月1日 スマホで『よいこの太陽信仰』を読んでは電車の中で噴き出すボク

最近、ウェブサイト上の漫画の『よいこの太陽信仰』というのを発見して、密かに楽しんでいる。世界各地の太陽神をずらりと登場させて物語が展開していく4コマ漫画だ。たとえば、日本からは天照大神が登場するし、エジプト神話のラーも登場する。メソポタミア神話のシャマシュやインド神話のスーリヤも登場する。ギリシア神話からはアポロンが登壇だ。そういう登場人物たちが同じ世界でわいわいやっている漫画だ。もともと作者がどのような意図で太陽神にフィーチャーして、太陽神だけの漫画を描こうという着想を得たのかはよく分からない。でも、期してか期せずか、結果として各国神話比較の様相を呈している。ある国の常識は他の国にとっての非常識。そういうギャップがクローズアップされて、笑いを生み出していて、非常に面白い。

2016年5月12日 講談社もすげーな!!

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会社帰りに『ライチ☆光クラブ』と『四月は君の嘘』の1巻を購入。久々に漫画なんか買ったなー。それにしても、たまたま実家で、お正月番組で尾田っちが講談社の『四月は君の嘘』をオススメしていたのを見た。他社の漫画なのに尾田っちすげーな、と思ったけど、一方の講談社も恥も外聞もなく尾田っちの名前を帯に冠して売っていて、これもこれですげーな、と思った。それで、ついつい手にとって、今更ながら購入してしまった。ホント、今更だけど。天下の講談社がこういう売り出しに掛かるとは思っていなかった。

『四月は君の嘘』については、絵がうまい。尾田っちが絶賛するだけのことはある。画力で読ませる漫画である。ストーリィは非常に軽くてポップな感じだけど、キャラクタの動きとかコマの運びとか、ぐいぐいと引き込まれる。すごい。

2016年2月24日 人生をかけたアンコールのない舞台!!

ももいろクローバーZがNew Albumを2枚引っさげてやってきた。結構、「WE ARE BORN」なんて静と動の緩急があって、X JAPANみたいで格好いいと思うし、「マホロバケーション」もベースがノリノリで、曲調も変化に富んでいて、ももクロらしくって面白い楽曲なんだけど、ボクは「バイバイでさようなら」の一節にやられた。

「リハーサルがあったら きっと準備できた そんなの言い訳だ 人生をかけた アンコールのない舞台なんだ」

まさにその通り。いつだって、失敗するたびに、もっと準備期間があればうまく行った、と思う。でも、そうじゃない。人生は一度きり。そんな言い訳していちゃ、ダメだ。そんなことを考えさせられた。やるしかないじゃない!!

2016年1月10日 クラシック音楽と出会いの話。

クラシック音楽を聴くのは飛行機の中くらいだった。クラシック音楽って、1曲がものすごく長いことが多い。でも、日常、長時間、集中して音楽を聴く時間なんてそうそう確保できないわけで、たとえば、通勤中に聴いても、楽曲が最後まで辿り着かないうちにボクの方が職場に辿り着いてしまう。そんなことをちぃ子(妻)と話した。すると「え? 義妹が食事の時間はクラシック音楽をかけているらしいよ」とのこと。幼児教育のつもりだろうか。それなら、と我が家でもここ数日、真似をしている。ツクル氏(息子)の感受性にどういう影響があるのかは分からないけれど、ボクとしては楽しい時間をゲットした格好だ。

* * *

小学館の『クラシックプレミアム』を創刊号から購読していた。海外にいる期間が多かったので、なかなか買えない期間も続いていたが、久々に買ってみた。ビゼーなんて知らないよ、と思ったら、「アルルの女」の前奏曲とか「カルメン」とか、曲はちゃんと知っていた。でも、ビゼーという名前には、全然、ピンと来ない。もちろん、ビゼーという名前は聞いたことがあるし、音楽家にそんな人がいるのも知っていたけれど、「あらま、この曲の作曲家なのね」てな具合だ。

こういう『クラシックプレミアム』みたいなシリーズはいい。ボク自身の恣意的な選択がなくって、順繰り、有名どころを楽しめるので、普通だったら出会わない出会いがある。本も、音楽も、絵も、テレビ番組もそうかもしれない。どうやって偶然の出会いを持ち込むか。結局、人間は好きなもの、知っているものしか見えていないので、その圏外にある諸々と出会うのは、実のところ、至難のワザである。その意味で、今回、『クラシックプレミアム』は背伸びして購入してみたシリーズである。残りの4号分を買えば50号が揃う。いろんな音楽家を満喫できたし、いい出会いもあった。なかなか楽しい。

2015年12月24日 分かりやすさのひとつの事例

『マンガ はじめて読むギリシア神話』を購入。こういういわゆる「初心者向け」の本にしては非常にいい。絵柄は今風の絵で、ギリシア神話同人誌的なお楽しみもたくさんあるが、監修をしている2人がちゃんとした専門家なので、漫画ならではの軽いノリがありながら、学問的な内容からは大きく外れていかない。それでいて、史学や文学だけでなく、流行りの漫画や芸能分野など、幅広いジャンルに言及していて、素晴らしいなあ、と思う。厳密に言えば、分かりやすさを追求している結果、異説・他説が漏れていくので、その部分は理解して読む必要があるだろう。でも、それは元々、両立できないので、いつだって、読者の側が了解しておくべき視点だ。

結構、この年になっても、児童書コーナに並ぶ、漫画で解説された書籍を手に取るボクだ。「分かりやすさ」を勉強しようと思ったら、児童書コーナを巡るのが一番の勉強法だ。元々、ボクは日本の歴史なんか、小学館の『学習まんが 少年少女日本の歴史』で学んだ口で、今でも桓武天皇とか足利尊氏とか、ついつい、あおむら純氏のイラストで想像してしまう。実はあんまり個性的な絵じゃない方が、こういう漫画の場合、本当はいい。その意味じゃ、大変、失礼な言い方になるかもしれないけれど、あおむら純氏の絵は最適だった。

この『ギリシア神話』の場合、伊勢田健一氏という人物(検索しても引っ掛からない!)がイラストを担当しているようだが、多少、クセはあって、全体的に美化されているとは言えるが、最近流行りの萌え要素も強調されていないし、もちろん、好みの問題はあるが、個人的には大きな違和感はない。こういうイラストを使った解説手法、もっともっと普及してもいいなあ。裾野が広がる。こういう手法だけが正解だとは思わないけれど、是非是非、学者先生には参考にしてもらいたい。

2015年10月10日 非常に純度の高い正攻法的なミステリィ

ドラマ『掟上今日子の備忘録』を観た。実のところ、西尾維新の『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(講談社文庫,2008年)のファンだったし、それよりも前から新垣結衣の大ファンである。戯言シリーズは途中でミステリィではなくなってしまったので、読まなくなってしまった。噂で、忘却探偵シリーズは再びミステリィになっていると聞いたので、実は読んでみようかなあ、と何度も本屋で手に取っては戻していた。そんなタイミングでのドラマ化。しかもガッキー主演。これは観ないわけがないッ!

ガッキーの忘却後の演技がよかった。隠館厄介といい感じに距離が近づいたーと思った後の、眠って目覚めて、「誰?」みたいな疎遠な雰囲気の演技には痺れた。ガッキーって、こんな演技もするのだなあ。あまりにもテンポが早くって、パッパ、パッパ、と展開する。その軽快さ、コミカルさの中に、一瞬だけ、ヒヤリ、とする程の悪意が入り込んでいて、上手な演出だ、と思った。

話は逸れるけれど、ボクは笠井潔の『バイバイ、エンジェル』(創元推理文庫,1995年)という作品が大好きだ。この作品では首なし死体が登場する。何故、犯人は首を切ったのか。主人公の矢吹駆はその理由を突き詰めて考える。その結果として犯人が自然と炙り出される。非常に純度の高い正攻法的なミステリィ。これぞミステリィという感じ。フランスを舞台にしているし、翻訳ものっぽい硬い文体だし、革命等の思想・哲学のやり取りも交わされていて、非常に難解な物語ではあるんだけれども、実はミステリィとしては非常に単純で、それでいて真っ向勝負。

実は『クビキリサイクル』を読んだときに、ボクは笠井潔の『バイバイ、エンジェル』と根本が重なる感じがした。何故、犯人は首を切ったのか。文章こそラノベっぽい感じで装飾されてはいるけれど、『バイバイ、エンジェル』と同じ純度の高い正攻法的なミステリィだな、と感じた。後になって、西尾維新が影響を受けた作家の一人として笠井潔を挙げているのを見て、やっぱりね、と。

何が言いたいのかと言うと、戯言シリーズはシリーズが進むに連れて、徐々にミステリィを放棄して人外バトルの様相を呈してくる。ボクは『クビキリサイクル』に本格ミステリィの構造を見て、そこに過度に期待してしまった。そして見事に裏切られて、読むのを止めてしまった。でも、本来、西尾維新はちゃんと純度の高い正攻法的なミステリィの視点を持った作家なのである。少なくとも『クビキリサイクル』はそうだった。『掟上今日子の備忘録』はまだ読んでいない。でも、テレビドラマシリーズは面白かった。だから、もう一度、『掟上今日子の備忘録』の原作にチャレンジしてみようかな、と思っている。あの独特なセリフ回しや文体で、『掟上今日子の備忘録』の世界を堪能するのも、また一興だろう。


『掟上今日子の備忘録』(著:西尾維新,講談社BOX,2014年)

2015年10月8日 密かな野望の準備作業

久々に森博嗣の『MORI LOG ACADEMY 1』(ダ・ヴィンチ ブックス,2006年)
を引っ張り出して読んでみる。あんまりテーマを定めずに、その日に思ったことや感じたこと、考えたことがつらつらと書いてある。ああ、そうか。あんまりテーマを固めると書くのが大変だよなあ、と思う。もっと自由にフランクに書くのも悪くないかもしれない。

最近はシュメル関連の本を読んでいる。いつかメソポタミア神話のウェブサイトを立ち上げても面白いかもしれない、と密かに企んでいて(もう公言してしまった!)、その準備作業だ。厚さが少し薄いのでどうかな、と思っていた前田徹氏の『世界史リブレット 1 都市国家の誕生』は都市という切り口で非常に練られていて面白いし、小林登志子氏の『五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語』は王侯貴族のものではあるけれど、人々の日常が抜き出されていて面白い。松島英子氏の『メソポタミアの神像 偶像と神殿祭儀』 はシュメル人とアッカド人のそれぞれの文化の混合という視点で神話を整理しようとしていて、その試みに非常に惹かれる。現在のボクは情報を貯め込む期間である。そのうち、自分の中で一定の整理ができたら、情報発信の側に回りたいな、と思う。ひとつの目標としては、シュメル・アッカド神話の神々の姿を確立することだ。他の神話の神々と違い、シュメル・アッカド神話の神々は明確にヴィジュアル化されていない。だから、イマイチ、ぱっとしないのだ。当時の髪型、当時のファッション、当時の食文化、当時の道具なんかをちゃんと頭の中に叩き込んで、ヴィジュアル化する。そのときに、きっと、シュメル・アッカド神話が、もう少し身近なものとして再構築されるのではないか。そんなことをぼんやりと頭の中に思い描いている。

そうそう。ようつべを散策していたら、懐かしいPVを発見。ファンが衝撃を受けた話題作(笑)。どうせなら、これもCDに入れてくれればよかったのにね。

2015年10月2日 不思議な歌

最近、ツクル君のお陰でNHK教育を見る。朝から「0655」や「ピタゴラスイッチ」、「デザインあ」など、なかなか秀逸な番組をやっている。今日は「シャキーン!」で変な歌をやっていた。タイトルは『ぼくはしらない』。地球が主人公の歌で、この世界について問うている。歌詞を引用してみよう。

『ぼくはしらない』
作詞・作曲:岩見十夢

教えてくれないか ぼくの 本当の姿を

とぐろを巻いた ヘビの上 一匹 カメが 乗っかっている
カメの 甲羅に ゾウ 四頭 背中で 大地を 支えてる

そういうふうに ぼくのこと 言う人達がいるんだ

世界の 中心 大きな木 しっぽ くわえた ヘビがすむ
海が 大地を 囲んでる さらに 山が すべてを 包む

こんなふうに ぼくのこと 思ってる人たちもいるんだ

他にも 丸くて 青いっていう話も あるみたいなんだけど
本当のところは どうなんだい?

教えてくれないか ぼくの 本当の姿を
自分を写す 鏡を 持っては いないから

教えてくれくれないか 確かめたことが ないから

ぼくは しらない 本当の姿を

不思議な歌詞だ。古代インドの世界観や古代ゲルマン人の世界観(ただしどちらも異説あり)について歌っている。そして、科学技術が証明した球体としての地球についてもさらりと歌う。子供番組なのに、変な歌だなあ、と思う。子供たちは、この歌の意味、分かっているのだろうか。

2015年9月23日 はらぺこあおむしが……

はらぺこあおむしがクトゥルフ神話になってしまったぞッ! 気持ちの悪さがうまい具合にクトゥルフっている(笑)。

というわけで、面白かったので、以下のウェブサイトでチェック。

http://www.c-lab.link/nettrend/49172

2015年9月14日 バシリスクの主体は蛇か、鶏か!?

『ダンジョン飯』を読む。面白い。バシリスクは蛇が主体で、鶏の部分が尾である、という解釈には度肝を抜かれた。マンドラゴラは抜く前にまず首を切り落としてしまえば叫べない、という裏技も面白い。そして、それらを調理して食べるわけで、そういう逆転の発想が面白い。さすがだなあ。


『ダンジョン飯 1巻』

2015年8月24日 「ビーだま・ビーすけの大冒険」に癒されて……

最近、「ビーだま・ビーすけの大冒険」に癒されている。「ピタゴラスイッチ」でここのところ、朝、放送されているのだ。基本は「ピタゴラ装置」なんだけど、「ビーだま・ビーすけの大冒険」は、それに物語が付加されている。さらわれた兄弟(ビータ、ビーゴロー)を助け出すために、ビーすけが奔走する、という救出劇だ。そのため、赤いビー玉のビーすけがトリガーになってピタゴラ装置は動き出す。

ただし、これまでのピタゴラ装置と圧倒的に違うところは、最初っから最後まで、赤いビー玉が機能し続ける、ということ。赤いビー玉がトリガーになって別の装置を動かしたとしても、最終的に、その装置は赤いビー玉を動かす仕組みになっていて、常に赤いビー玉が次の装置のトリガーになっていく。その意味では、スタートからゴールまで、赤いビー玉を繋いでいかなければならないので大変だ。当然、ビー玉は位置エネルギーを使って動くので、下に落ちる一方だ。途中、別の装置を発動させて、赤いビー玉は上に上がらなければならない。そのための工夫があっちこっちにあって面白い。

物語になっているため、途中で緑と黄色のビー玉を回収するとか、巨大な玉に追いかけられるとか、紙コップに捕らわれるとか、3人の力を合わせる(3つのビー玉の重さで駆動する装置)とか、最終的には3人でゴールする仕掛けとか、いろいろと頭を使わなければならないので、装置を作った人は大変だっただろうなあ、と思う。

歌がビーすけの応援歌になっていて、見ているこちらも、「ビーすけ、頑張れー!」と固唾を呑んで見守ってしまう。よく出来たピタゴラ装置だ。すごいなあ、NHK。

2015年7月1日 あたしのゆめは君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを掻き集めて大きな鏡をつくること

大森靖子の『マジックミラー』。何て言うんだろう。椎名林檎と出会ったときと同じくらいの衝撃を受けた! 椎名林檎に似ている、という意味ではない。ものすごく感性で生きている。その感性にガーン、とぶちのめされる。そのぶちのめされ方が同じだった、ということ。女流作家に憧れたり、鳥居みゆきにハマったりするボクだけど、多分、男性はどこかに理性の部分が残っていて、完全には感性で生きられない。感性で勝負している男性作家や男性アーティストはほとんどいない。そういう意味じゃ、女性ってすごいなあ、と思う。そういうぶちのめされ方だ。

彼女のライヴ映像はもっとずぅっと尖っていてすごいんだけど、でも、あまりに粗削り過ぎる。どこかで一歩引いてしまう。そういう意味じゃ、この彼女の最新作が、落としどころというのか、バランスとしてはちょうどいい具合だ、と思う。ぶっ飛んでいて、でも、安心して見ていられる境界の内側ギリギリ、という感じ。