2017年3月22日 ピーーーーーーーーーーーーーーーー!!

大森靖子が3rd album『kitixxxgaia』を発売した。これ、タイトル変更の要請がどこかからあったようだが、彼女は拒み、結果として表記を変えたようだ。その中の1曲目が『ドグマ・マグマ』なのだが、その中にも放送禁止用語があって、テレビで歌ったときには歌詞を変えて歌っていた。

ボクは放送禁止用語の意味が分からない。差別用語というのも、よく分からない。言葉そのものには悪意はない。使う人間の側に悪意があるだけだ。悪意ある人間が発すれば言葉は攻撃になるし、差別になる。でも、そういう意図なく使われる言葉には悪意も差別意識もない。無自覚に差別を助長する要素が言葉があるのだとしたら、正されるべきは言葉ではなくって文化の側だ。言葉は所詮、表層だ。

今でも、真っ先に言葉が槍玉にあげられるのだなあ、と思う。下品極まりない番組や偏向報道、目を覆いたくなるような性表現は横に置かれて、表層の言葉にだけ、アンテナを張って、それで安全を主張する。

ボクはこのアルバムの元のタイトルを規制することよりも、コンビニのエロ本を排除することの方が先だと思うし、それこそ女性蔑視だと思う。『ドグマ・マグマ』の歌詞を変えて歌わせるよりも先に、過激なYoutubeやニコニコ動画を規制した方が健全な社会になると思う。大事なことは、ルールとかレギュレーションではなくって、本質だ。「キ○ガイ」やF-wordはダメというルールの遵守が大切なのではなくって、社会に存在する悪意を排除することだ。そこを横において言葉だけを狩っていても誰も救われない。

って、全然、音楽の感想じゃねえや。まあ、いいか。

2017年2月3日 ダダイズム、ダダイズム!!

体調不調である。全身、筋肉痛みたいになっていてダルい。まあ、飛行機移動の疲れもあるのだろうと自己分析して、早々にベッドイン。ゲスの極み乙女。をガンガンに流しながら就寝。以下、だらだらと書くが、最近、休日課長が立ち上げたDADARAYというバンドは結局、作詞作曲が絵音なわけで、活動停止って何だろか、と思わないでもない。でも、そういう意味でダダイズムなのかもしれない(笑)。中盤のベースが格好いいなあ。本音を言えば、ボク自身は、そもそも活動停止するほどのことではなかったと認識しているので(などと書くと各方面から攻撃されそうだが)、まあ、こういう形でゆるゆる活動するのもいいのではないか、と内心では思っている。いずれにしても、発売予定だったアルバムの『シア ワセ林檎』があまりにいい楽曲なので、いずれは発売して欲しいなあ。ぶつぶつぶつ。

2016年8月25日 まんがだからってバカにできないシリーズ

『死者の書 まんがで読破』が比較的、面白かった。主人公のトトがいきなり蛇に咬まれて死んでしまい、死者の書を片手に冥界に行き、苦難をくぐり抜け、オシリスの審判を受けて、イアルの野に行くという物語。オシリス神殿で暗闇を抜けたら、ずらり、と神さまが勢ぞろいして並んでいるシーンは非常に壮観で、感動した。マンガならではの演出だ。

実は同じシリーズの『日本書紀 まんがで読破』も、中身としてはかなり簡略化していて物足りない部分はあるが、絵が印象的で面白かった。ああ、神さまが動いている、という感じがした。『コーラン まんがで読破』もイスラームの思想や文化、歴史などを説明しながら、コーランに何が書いてあるかを簡単に学べて、なかなか興味深い。

このシリーズ、意外と調べて書いている印象があって、入門書としてはかなりオススメだと思う。神話だけじゃなくって、ドストエフスキーの『罪と罰』やゲーテの『ファウスト』みたいな文学作品やマクベスの『資本論』とかカントの『純粋理性批判』みたいな哲学書(?)もあったりするので、楽しいなあ、と思っている。

2016年6月1日 スマホで『よいこの太陽信仰』を読んでは電車の中で噴き出すボク

最近、ウェブサイト上の漫画の『よいこの太陽信仰』というのを発見して、密かに楽しんでいる。世界各地の太陽神をずらりと登場させて物語が展開していく4コマ漫画だ。たとえば、日本からは天照大神が登場するし、エジプト神話のラーも登場する。メソポタミア神話のシャマシュやインド神話のスーリヤも登場する。ギリシア神話からはアポロンが登壇だ。そういう登場人物たちが同じ世界でわいわいやっている漫画だ。もともと作者がどのような意図で太陽神にフィーチャーして、太陽神だけの漫画を描こうという着想を得たのかはよく分からない。でも、期してか期せずか、結果として各国神話比較の様相を呈している。ある国の常識は他の国にとっての非常識。そういうギャップがクローズアップされて、笑いを生み出していて、非常に面白い。

2016年5月12日 講談社もすげーな!!

20140512

会社帰りに『ライチ☆光クラブ』と『四月は君の嘘』の1巻を購入。久々に漫画なんか買ったなー。それにしても、たまたま実家で、お正月番組で尾田っちが講談社の『四月は君の嘘』をオススメしていたのを見た。他社の漫画なのに尾田っちすげーな、と思ったけど、一方の講談社も恥も外聞もなく尾田っちの名前を帯に冠して売っていて、これもこれですげーな、と思った。それで、ついつい手にとって、今更ながら購入してしまった。ホント、今更だけど。天下の講談社がこういう売り出しに掛かるとは思っていなかった。

『四月は君の嘘』については、絵がうまい。尾田っちが絶賛するだけのことはある。画力で読ませる漫画である。ストーリィは非常に軽くてポップな感じだけど、キャラクタの動きとかコマの運びとか、ぐいぐいと引き込まれる。すごい。

2016年2月24日 人生をかけたアンコールのない舞台!!

ももいろクローバーZがNew Albumを2枚引っさげてやってきた。結構、「WE ARE BORN」なんて静と動の緩急があって、X JAPANみたいで格好いいと思うし、「マホロバケーション」もベースがノリノリで、曲調も変化に富んでいて、ももクロらしくって面白い楽曲なんだけど、ボクは「バイバイでさようなら」の一節にやられた。

「リハーサルがあったら きっと準備できた そんなの言い訳だ 人生をかけた アンコールのない舞台なんだ」

まさにその通り。いつだって、失敗するたびに、もっと準備期間があればうまく行った、と思う。でも、そうじゃない。人生は一度きり。そんな言い訳していちゃ、ダメだ。そんなことを考えさせられた。やるしかないじゃない!!

2016年1月10日 クラシック音楽と出会いの話。

クラシック音楽を聴くのは飛行機の中くらいだった。クラシック音楽って、1曲がものすごく長いことが多い。でも、日常、長時間、集中して音楽を聴く時間なんてそうそう確保できないわけで、たとえば、通勤中に聴いても、楽曲が最後まで辿り着かないうちにボクの方が職場に辿り着いてしまう。そんなことをちぃ子(妻)と話した。すると「え? 義妹が食事の時間はクラシック音楽をかけているらしいよ」とのこと。幼児教育のつもりだろうか。それなら、と我が家でもここ数日、真似をしている。ツクル氏(息子)の感受性にどういう影響があるのかは分からないけれど、ボクとしては楽しい時間をゲットした格好だ。

* * *

小学館の『クラシックプレミアム』を創刊号から購読していた。海外にいる期間が多かったので、なかなか買えない期間も続いていたが、久々に買ってみた。ビゼーなんて知らないよ、と思ったら、「アルルの女」の前奏曲とか「カルメン」とか、曲はちゃんと知っていた。でも、ビゼーという名前には、全然、ピンと来ない。もちろん、ビゼーという名前は聞いたことがあるし、音楽家にそんな人がいるのも知っていたけれど、「あらま、この曲の作曲家なのね」てな具合だ。

こういう『クラシックプレミアム』みたいなシリーズはいい。ボク自身の恣意的な選択がなくって、順繰り、有名どころを楽しめるので、普通だったら出会わない出会いがある。本も、音楽も、絵も、テレビ番組もそうかもしれない。どうやって偶然の出会いを持ち込むか。結局、人間は好きなもの、知っているものしか見えていないので、その圏外にある諸々と出会うのは、実のところ、至難のワザである。その意味で、今回、『クラシックプレミアム』は背伸びして購入してみたシリーズである。残りの4号分を買えば50号が揃う。いろんな音楽家を満喫できたし、いい出会いもあった。なかなか楽しい。

2015年12月24日 分かりやすさのひとつの事例

『マンガ はじめて読むギリシア神話』を購入。こういういわゆる「初心者向け」の本にしては非常にいい。絵柄は今風の絵で、ギリシア神話同人誌的なお楽しみもたくさんあるが、監修をしている2人がちゃんとした専門家なので、漫画ならではの軽いノリがありながら、学問的な内容からは大きく外れていかない。それでいて、史学や文学だけでなく、流行りの漫画や芸能分野など、幅広いジャンルに言及していて、素晴らしいなあ、と思う。厳密に言えば、分かりやすさを追求している結果、異説・他説が漏れていくので、その部分は理解して読む必要があるだろう。でも、それは元々、両立できないので、いつだって、読者の側が了解しておくべき視点だ。

結構、この年になっても、児童書コーナに並ぶ、漫画で解説された書籍を手に取るボクだ。「分かりやすさ」を勉強しようと思ったら、児童書コーナを巡るのが一番の勉強法だ。元々、ボクは日本の歴史なんか、小学館の『学習まんが 少年少女日本の歴史』で学んだ口で、今でも桓武天皇とか足利尊氏とか、ついつい、あおむら純氏のイラストで想像してしまう。実はあんまり個性的な絵じゃない方が、こういう漫画の場合、本当はいい。その意味じゃ、大変、失礼な言い方になるかもしれないけれど、あおむら純氏の絵は最適だった。

この『ギリシア神話』の場合、伊勢田健一氏という人物(検索しても引っ掛からない!)がイラストを担当しているようだが、多少、クセはあって、全体的に美化されているとは言えるが、最近流行りの萌え要素も強調されていないし、もちろん、好みの問題はあるが、個人的には大きな違和感はない。こういうイラストを使った解説手法、もっともっと普及してもいいなあ。裾野が広がる。こういう手法だけが正解だとは思わないけれど、是非是非、学者先生には参考にしてもらいたい。

2015年10月10日 非常に純度の高い正攻法的なミステリィ

ドラマ『掟上今日子の備忘録』を観た。実のところ、西尾維新の『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(講談社文庫,2008年)のファンだったし、それよりも前から新垣結衣の大ファンである。戯言シリーズは途中でミステリィではなくなってしまったので、読まなくなってしまった。噂で、忘却探偵シリーズは再びミステリィになっていると聞いたので、実は読んでみようかなあ、と何度も本屋で手に取っては戻していた。そんなタイミングでのドラマ化。しかもガッキー主演。これは観ないわけがないッ!

ガッキーの忘却後の演技がよかった。隠館厄介といい感じに距離が近づいたーと思った後の、眠って目覚めて、「誰?」みたいな疎遠な雰囲気の演技には痺れた。ガッキーって、こんな演技もするのだなあ。あまりにもテンポが早くって、パッパ、パッパ、と展開する。その軽快さ、コミカルさの中に、一瞬だけ、ヒヤリ、とする程の悪意が入り込んでいて、上手な演出だ、と思った。

話は逸れるけれど、ボクは笠井潔の『バイバイ、エンジェル』(創元推理文庫,1995年)という作品が大好きだ。この作品では首なし死体が登場する。何故、犯人は首を切ったのか。主人公の矢吹駆はその理由を突き詰めて考える。その結果として犯人が自然と炙り出される。非常に純度の高い正攻法的なミステリィ。これぞミステリィという感じ。フランスを舞台にしているし、翻訳ものっぽい硬い文体だし、革命等の思想・哲学のやり取りも交わされていて、非常に難解な物語ではあるんだけれども、実はミステリィとしては非常に単純で、それでいて真っ向勝負。

実は『クビキリサイクル』を読んだときに、ボクは笠井潔の『バイバイ、エンジェル』と根本が重なる感じがした。何故、犯人は首を切ったのか。文章こそラノベっぽい感じで装飾されてはいるけれど、『バイバイ、エンジェル』と同じ純度の高い正攻法的なミステリィだな、と感じた。後になって、西尾維新が影響を受けた作家の一人として笠井潔を挙げているのを見て、やっぱりね、と。

何が言いたいのかと言うと、戯言シリーズはシリーズが進むに連れて、徐々にミステリィを放棄して人外バトルの様相を呈してくる。ボクは『クビキリサイクル』に本格ミステリィの構造を見て、そこに過度に期待してしまった。そして見事に裏切られて、読むのを止めてしまった。でも、本来、西尾維新はちゃんと純度の高い正攻法的なミステリィの視点を持った作家なのである。少なくとも『クビキリサイクル』はそうだった。『掟上今日子の備忘録』はまだ読んでいない。でも、テレビドラマシリーズは面白かった。だから、もう一度、『掟上今日子の備忘録』の原作にチャレンジしてみようかな、と思っている。あの独特なセリフ回しや文体で、『掟上今日子の備忘録』の世界を堪能するのも、また一興だろう。


『掟上今日子の備忘録』(著:西尾維新,講談社BOX,2014年)

2015年10月8日 密かな野望の準備作業

久々に森博嗣の『MORI LOG ACADEMY 1』(ダ・ヴィンチ ブックス,2006年)
を引っ張り出して読んでみる。あんまりテーマを定めずに、その日に思ったことや感じたこと、考えたことがつらつらと書いてある。ああ、そうか。あんまりテーマを固めると書くのが大変だよなあ、と思う。もっと自由にフランクに書くのも悪くないかもしれない。

最近はシュメル関連の本を読んでいる。いつかメソポタミア神話のウェブサイトを立ち上げても面白いかもしれない、と密かに企んでいて(もう公言してしまった!)、その準備作業だ。厚さが少し薄いのでどうかな、と思っていた前田徹氏の『世界史リブレット 1 都市国家の誕生』は都市という切り口で非常に練られていて面白いし、小林登志子氏の『五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語』は王侯貴族のものではあるけれど、人々の日常が抜き出されていて面白い。松島英子氏の『メソポタミアの神像 偶像と神殿祭儀』 はシュメル人とアッカド人のそれぞれの文化の混合という視点で神話を整理しようとしていて、その試みに非常に惹かれる。現在のボクは情報を貯め込む期間である。そのうち、自分の中で一定の整理ができたら、情報発信の側に回りたいな、と思う。ひとつの目標としては、シュメル・アッカド神話の神々の姿を確立することだ。他の神話の神々と違い、シュメル・アッカド神話の神々は明確にヴィジュアル化されていない。だから、イマイチ、ぱっとしないのだ。当時の髪型、当時のファッション、当時の食文化、当時の道具なんかをちゃんと頭の中に叩き込んで、ヴィジュアル化する。そのときに、きっと、シュメル・アッカド神話が、もう少し身近なものとして再構築されるのではないか。そんなことをぼんやりと頭の中に思い描いている。

そうそう。ようつべを散策していたら、懐かしいPVを発見。ファンが衝撃を受けた話題作(笑)。どうせなら、これもCDに入れてくれればよかったのにね。

2015年10月2日 不思議な歌

最近、ツクル君のお陰でNHK教育を見る。朝から「0655」や「ピタゴラスイッチ」、「デザインあ」など、なかなか秀逸な番組をやっている。今日は「シャキーン!」で変な歌をやっていた。タイトルは『ぼくはしらない』。地球が主人公の歌で、この世界について問うている。歌詞を引用してみよう。

『ぼくはしらない』
作詞・作曲:岩見十夢

教えてくれないか ぼくの 本当の姿を

とぐろを巻いた ヘビの上 一匹 カメが 乗っかっている
カメの 甲羅に ゾウ 四頭 背中で 大地を 支えてる

そういうふうに ぼくのこと 言う人達がいるんだ

世界の 中心 大きな木 しっぽ くわえた ヘビがすむ
海が 大地を 囲んでる さらに 山が すべてを 包む

こんなふうに ぼくのこと 思ってる人たちもいるんだ

他にも 丸くて 青いっていう話も あるみたいなんだけど
本当のところは どうなんだい?

教えてくれないか ぼくの 本当の姿を
自分を写す 鏡を 持っては いないから

教えてくれくれないか 確かめたことが ないから

ぼくは しらない 本当の姿を

不思議な歌詞だ。古代インドの世界観や古代ゲルマン人の世界観(ただしどちらも異説あり)について歌っている。そして、科学技術が証明した球体としての地球についてもさらりと歌う。子供番組なのに、変な歌だなあ、と思う。子供たちは、この歌の意味、分かっているのだろうか。

2015年9月23日 はらぺこあおむしが……

はらぺこあおむしがクトゥルフ神話になってしまったぞッ! 気持ちの悪さがうまい具合にクトゥルフっている(笑)。

というわけで、面白かったので、以下のウェブサイトでチェック。

http://www.c-lab.link/nettrend/49172

2015年9月14日 バシリスクの主体は蛇か、鶏か!?

『ダンジョン飯』を読む。面白い。バシリスクは蛇が主体で、鶏の部分が尾である、という解釈には度肝を抜かれた。マンドラゴラは抜く前にまず首を切り落としてしまえば叫べない、という裏技も面白い。そして、それらを調理して食べるわけで、そういう逆転の発想が面白い。さすがだなあ。


『ダンジョン飯 1巻』

2015年8月24日 「ビーだま・ビーすけの大冒険」に癒されて……

最近、「ビーだま・ビーすけの大冒険」に癒されている。「ピタゴラスイッチ」でここのところ、朝、放送されているのだ。基本は「ピタゴラ装置」なんだけど、「ビーだま・ビーすけの大冒険」は、それに物語が付加されている。さらわれた兄弟(ビータ、ビーゴロー)を助け出すために、ビーすけが奔走する、という救出劇だ。そのため、赤いビー玉のビーすけがトリガーになってピタゴラ装置は動き出す。

ただし、これまでのピタゴラ装置と圧倒的に違うところは、最初っから最後まで、赤いビー玉が機能し続ける、ということ。赤いビー玉がトリガーになって別の装置を動かしたとしても、最終的に、その装置は赤いビー玉を動かす仕組みになっていて、常に赤いビー玉が次の装置のトリガーになっていく。その意味では、スタートからゴールまで、赤いビー玉を繋いでいかなければならないので大変だ。当然、ビー玉は位置エネルギーを使って動くので、下に落ちる一方だ。途中、別の装置を発動させて、赤いビー玉は上に上がらなければならない。そのための工夫があっちこっちにあって面白い。

物語になっているため、途中で緑と黄色のビー玉を回収するとか、巨大な玉に追いかけられるとか、紙コップに捕らわれるとか、3人の力を合わせる(3つのビー玉の重さで駆動する装置)とか、最終的には3人でゴールする仕掛けとか、いろいろと頭を使わなければならないので、装置を作った人は大変だっただろうなあ、と思う。

歌がビーすけの応援歌になっていて、見ているこちらも、「ビーすけ、頑張れー!」と固唾を呑んで見守ってしまう。よく出来たピタゴラ装置だ。すごいなあ、NHK。

2015年7月1日 あたしのゆめは君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを掻き集めて大きな鏡をつくること

大森靖子の『マジックミラー』。何て言うんだろう。椎名林檎と出会ったときと同じくらいの衝撃を受けた! 椎名林檎に似ている、という意味ではない。ものすごく感性で生きている。その感性にガーン、とぶちのめされる。そのぶちのめされ方が同じだった、ということ。女流作家に憧れたり、鳥居みゆきにハマったりするボクだけど、多分、男性はどこかに理性の部分が残っていて、完全には感性で生きられない。感性で勝負している男性作家や男性アーティストはほとんどいない。そういう意味じゃ、女性ってすごいなあ、と思う。そういうぶちのめされ方だ。

彼女のライヴ映像はもっとずぅっと尖っていてすごいんだけど、でも、あまりに粗削り過ぎる。どこかで一歩引いてしまう。そういう意味じゃ、この彼女の最新作が、落としどころというのか、バランスとしてはちょうどいい具合だ、と思う。ぶっ飛んでいて、でも、安心して見ていられる境界の内側ギリギリ、という感じ。

2015年2月19日 客観的に考えること

フィリピンに行って疲れてしまったようで、休暇をとって爆睡モード。月曜日もお休みしているので、かなりのダメージだ。根を詰めすぎたのもあるだろうし、寒暖の差が原因かもしれない。5時起きが続いたのも影響しているだろうか。うーん。

* * *

ツクル君と一緒に、本屋さんに行く。児童書コーナでいろいろとツクル君に本を読んで反応を見る。ボクが思っていたよりも難しい本の方が面白がる傾向にある。意外と図鑑を面白がるし、絵が複雑なものを好む。もしかしたら、ボクは必要以上に子供向けの本を買い与えていたかもしれない。こうやって、ツクル君本人に、本屋さんで直接、本を選んでもらうというのが、一番、有効かもしれない。

* * *

久々に川本真琴の3rd Album「音楽の世界へようこそ」を聴く。買ったときには、大昔の川本真琴のイメージを抱いていたせいか、あんまり好きになれなかった。だから、そのまんまCDラックに眠っていた。でも、今頃になって発見して、聴いてみると、非常によく出来ている。客観的に見れば、すごくいいAlbumだった。

常に客観的に物事を評価したいな、と思っている。でも、思い入れがあるとうまくいかない。そういうときもある。

2015年2月1日 リンカネーション(再生)!!

いるま嬢のカバー・アルバム『Reincarnation』が届いた。これまでのHollow Mellowの企画でいるま嬢がいろんな人たちに提供していた楽曲を、いるま嬢自らがカバー。ヴァイオリニストのJill嬢を加えて、ヴァイオリン・アレンジを加えての再構築。まさに「Reincarnation《再生》」である。上昇下降を繰り返して疾走するJill嬢のヴァイオリンと痺れるように切ないNemu氏のギターのダブルのソロが格別、格好よくって、心地よい。

いるま嬢は音楽の空間的なバランス感覚に卓越している。そこにNemu氏のギターが入り、Jill嬢のヴァイオリンが入って、混沌としていく。いるま嬢が理路整然とコントロールできる領域の外側が増えたということで、それが微妙な歪みをつくっている。それが新しい世界を生み出しているな、という感じ。

Nemu氏が加入した当初は、あまりに混沌とし過ぎて、一度、音楽がばらばらと崩れた印象があった。完成していた音楽的なバランスが崩れたのだ。でも、Hollow Mellowのプロジェクトを進めていく中で、次第に、うまく融合できてきたかな、と思っていた矢先に、今度はJill嬢の加入。もう一度、音楽を再構築する必要が生じたわけだ。もちろん、うまく融合できれば、新しい世界が見える。今回はNemu氏が加入したときのような大幅な崩壊はない。いるま嬢の中に新しい要素をうまく組み込める素地が出来ていた、ということだろう。いるま嬢は現時点でも、非常に意欲的で、チャレンジャである。

聴き所は8曲目。めらみぽっぷさんが歌っていた「Forbidden Lover-青い鳥-」の大幅なアレンジ。まるで別の楽曲のような変更っぷり。それなのに原曲のエッセンスはちゃんと残っている。中盤からの疾走感が素敵。そして、9曲目。最後の楽曲「Fall Away -マッチ売りの少女-」。ヴァイオリンとギターのテクニカルなソロも必聴だが、Albumを締めるのに相応しい盛り上がり。

本音を言えば、浮森かや子さんの特徴的な声が光っていた「Candy Prison -グレーテル-」や初めての男性・下和田ヒロキさんの「Lonely Prince -狼と3匹の子豚-」などの癖のあるヴォーカリトさんの楽曲をいるま嬢がどう料理するのか、ちょっと楽しみではあったのだけれど、それはまた、別の次回の機会に期待しよう。

ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は梨丘いるま嬢の応援サイトなのである(笑)。

2015年1月21日 MCZ VS KISS

ももいろクローバーZの新曲MVが公開された。往年のロック・バンドKISSとのコラボレーションということで、ちょっとビックリした。

再生したら、いかにも洋楽っぽいリズム。そして、いきなりのアニメーション! あちこちに「和」の要素も取り込まれていて、まさにクール・ジャパン。おしゃれで面白い。アニメの世界からリアルのKISSが飛び出した瞬間は、まさに「キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!」って感じ(笑)。でも、PVを楽しんでいると、全ッ然、楽曲が耳に入ってこないのよね。何度聴いてもそう。変な曲、という印象だけを残して終わってしまう。

で、今度はMVを観ないで、純粋に音楽だけを聴いてみる。すごく凝っていて、複雑で、挑戦的で、実に面白いんだな、これが。あれ? ということは、MVとして失敗? でも、目を惹くから、これでOK!?

それにしても、KISSもよくこの企画に乗ってくれたよなあ。どういう経緯でこのプロジェクトが着想されて、ここまで来たのだろう。そのプロセスがとても気になる。でも、KISSとしても日本向けのいいプロモーションになるので、ウィン・ウィンの関係と言える。ももクロ、相変わらず、ぶっ飛んでいて面白いなあ。

2015年1月15日 作品と作者をうまく切り分けられない

桑田佳祐が年末のLIVEの演出について謝罪したらしい。あれだけ好き勝手やっておいて謝罪するなんて、ダサいなあ。言いたい人には言わせておけばいいのに。まあ、それだけ右翼が面倒くさい、ということの証左なのかもしれない。事務所サイドの都合かもしれない。

正直、ボクはサザンが好きなわけでも、桑田佳祐が好きなわけでもないのだけれど、『ピースとハイライト』は好きだった。生温ーい歌詞ではあるんだけど、でも、共感できた。PVもちょっと過激だったけど、エンターテイメントになっていた。復活したサザンのこれからに、ちょっとした期待感があった。

本来、作品の価値は作品でしか決まらない。でも、今回のように、こうやって謝罪されてしまうと、作品の自己否定みたいな感じがして、作品の価値まで一緒になって下がってしまったように感じられるから不思議だ。ボクの中で、一気に『ピースとハイライト』の歌詞が薄っぺらく感じられちゃう。でも、それってボクがまだ作品と作者を混同して、うまく切り分けられていない証拠なのかもしれない。

『ピースとハイライト』、好きだったのになあ。好きだっただけにちょっとガッカリした、という感じ?

2015年1月6日 コンサート音源!!

本日発売の『クラシックプレミアム第26巻』は、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート特集だった。ちょうどズービン・メータのニューイヤー・コンサートを聞いたタイミングなので、感慨ひとしおだ。だからこそ、小学館も、このタイミングにこの特集を持ってきたのだろう。

CDを聞いていたら、最後に拍手が入った。をを、そうか。これはライヴなのか。そりゃー、そうだ。ニューイヤー・コンサートだから、ライヴ収録しかあり得ないのであった。でも、既刊の25巻までは拍手が入っていなかったので、それが当たり前になっていたので、ちょっと新鮮な気持ちになった。わはは。

「トリッチ・トラッチ・ポルカ」や「春の声」、「美しく青きドナウ」に「ラデツキー行進曲」まで入っているので、もう、これは完璧にニューイヤー・コンサートの気分だなあ。うふふ。


『隔週刊クラシックプレミアム第26巻』