2016年11月16日 パキスタンより帰国!!

2か月、パキスタンに行っていた。向こうでもウェブサイトが更新できると高を括っていたが、セキュリティの関係でログインできず、更新できなかった。そんなわけでずぅっと音信不通になっていた。一昨日の夜に帰国し、昨日、いろいろと日本に溜まっていた仕事をやっつけて、ようやく、今日、こうして自宅でパソコンに向き合っている。Wi-Fiのセキュリティの低さは認識していたけれど、まさかホテルのWi-FiでさえもWordPressが弾いてくるとは、想定外である。

子供がもう少しで3歳になる。段々、父親と離れているということに対して、いろいろと考える歳になってきたようだ。大昔と違って、FaceTimeやLINEがあるので、モニタ越しに会話はできる。帰国日が近づいてくると、すごく嬉しそうな顔をして「パパ、早く帰ってきてねー」などと喋って手を振っている。成長が見えるので、安心できるし、それはそれで幸せである。でも、寂しそうな顔を見せられるので、切なくなることもある。

そんなわけで取り敢えずの帰国報告である。

2016年3月6日 最高気温45℃のアラビア語の世界

スーダンの首都ハルツームに到着。飛行機から降り立った瞬間、ものすごい熱気に襲われる。最高気温45℃の世界である。

でも、街並みは思っていたよりもキレイだ。喫茶店やレストランもあるし、近代的な感じ。他の途上国に比べて、ドライバたちが安全運転なのも印象的。クラクションの音がしないし、車線を無視した走行もない。

ただし、外務省のウェブサイトにある「英語も通用」という表記は嘘八百だ。Wikipediaにもスーダンの公用語はアラビア語と英語と記載されているが、英語はまるで通じない。ホテルに荷物を預けて、電話のSIMを買いに電話会社に行く。ナイジェリアでも使っていたMTN社だ。でも、店員は英語が喋れず、いくら「Receipt(レシート)」をくれと言っても伝わらない。先に現地入りしていた日本人から「فاتورة(ファートゥーラ)」というアラビア語を教えてもらってようやく領収書をゲット。なかなか大変である。

でも、外国人からすれば、日本人も英語を話せない人が多いので、同じ感覚を味わっているかもしれない。国際化って難しいなあ。でも、日本人ならさすがに「Receipt」くらいは分かるだろう。

その後、レンタカー屋に行って、社長に外国人登録の代理対応を依頼する。スーダンでは、入国してから3日以内に外国人登録をしないと4日目から罰金をとられるらしい。しかも登録料は500ポンド(約5,500円)と比較的、高額。入国に際してビザも取得しなきゃいけないし、州を跨ぐ移動をするときには旅行許可書(Travel Permit)が必要だし、外国人に優しくない。イクない。

夜、みんなでレストランに行く。レバノン、シリア、トルコなどの中東料理だ。كباب(ケバブ)を堪能。食後にはトルコ・コーヒーを頼んで、ちょっぴり幸せな気分。スーダン、なかなかいいじゃない。悪くない。昼間は暑いけれど……。

2016年3月6日 黄金の駱駝

昨夜、スーダンに向けて出発し、アブダビ空港にて乗り継ぎ。昔、ちぃ子(妻)とトルコに行ったときにも立ち寄ったことがある空港で、非常に懐かしい感じ。あのときは二人で楽しくこの空港に降り立った。今回は同期のジャニ顔青年と一緒。

ご当地マック

乗り継ぎの便を待っている間に二人でご当地マックを満喫。ボクはスパイシーマックチキン。彼はマックアラビア。ボクは前回、ナイジェリア渡航の帰りにマックアラビアを堪能している。

黄金の駱駝

そして空港内の黄金の駱駝に跨って記念撮影。本サイトでは珍しいスーツ姿のボクだ。同期との渡航だから油断している、というわけではない。これは会社の女性陣から与えられたミッションである(笑)。そんなわけで、スーダンを前にして、まだまだ楽しいひと時である。

* * *

ちなみに今、パソコンで入力しながら「🐪」とか「🐫」などの絵文字が打てることに衝撃を受けている。こんな機能を実装する前に、ちゃんと多言語化に対応して、楔形文字とかヒエログリフとかを印字できるようにして欲しい、と思う。

2016年1月31日 ナイジェリアの週末

アブジャの治安について、特に不安に感じることはない。ナイジェリアの北の方はまだまだボコ・ハラムが活動を続けているし、南の方は石油の利権があって外国人誘拐があるらしい。でも、アブジャそのものは穏やかで、怖いな、と感じることはほとんどない。それでも、うろうろと歩き回って何かあるといけないので、シェラトン・ホテルに引き籠っている。足がない、というのもひとつの理由だ。

リーダーは部屋でお仕事。基本的にお仕事が大好きなのだ。ワーカホリックである。青服おじさんはナイジェリアの日本人に誘われて、ゴルフを満喫。スマホ田さんは、きっとタイの女の子とLINEやfacebookをお楽しみだろうし、モリターマンはジムのランニング・マシンで1時間以上、走っている。ボクはそんなモリターマンを眺めながら、プール・サイドで日向ぼっこ。ハンバーガーを齧りながらの読書だ。

そんなわけで、みんな、思い思いにホテル・ライフを満喫している。ナイジェリアの週末はこんな感じ。

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2016年1月29日 タスクフォースの結成!?

ちょっとだけ背伸びをして、先方にタスクフォースの結成を提案してみた。ボクの中で、今進めているプロジェクトを、組織の取り組みに昇華させる必要があって、そのソリューションのひとつとして、組織横断的なタスクフォースの結成が絶対に必要だ、と感じたのだ。だから、思い切って、調査団のリーダーに提案したら、そのまんま、先方に提案することになった。今、タスクフォースのメンバ構成をリーダーと検討している。

……それにしても、提案してみるものだなあ。

2016年1月13日 レチョン・バボイのその後

フィリピンではしばしば、お祝いの際にはレチョン・バボイ(Lechon Baboy)が登場する。レチョン・バボイとはタガログ語で《豚の丸焼き》という意味。今回のフィリピンの渡航でも、ラップアップ・セミナが終わった後、満を持してレチョン・バボイが登場した。何度もフィリピンに渡航したけれど、これで3回目の面会だ。

卓上のレチョン・バボイ
卓上のレチョン・バボイ

バボイの頭部
食べ終わったレチョン・バボイの頭部

う、うーん。食後のレチョン・バボイを写真に撮ると、なかなかインパクトがある(笑)。味は、かなり脂っこい。でも、皮は鳥皮のようなパリパリした感じで、非常に香ばしく、美味しい。

2016年1月11日 シヌログ祭

セブのカウンターパートの執務室に行ったら、部屋中がピンクや黄色、緑の色紙でド派手に装飾されている。ボクはフィリピンなので、てっきりクリスマスの名残かな、と思った。あるいは1月なので、新年のお祝いの名残なのかもしれない。ところが、マム・ヘレンに説明を求めると、これはシヌログ祭の期間中だからだという。

フィリピン各地には町の守護聖人がいて、それを祝う「フィエスタ」という祭りがある。セブはマゼラン大佐が持ち込んだ幼きイエスの像「サント・ニーニョ」を祀る。これを祀ったお祭りが「シヌログ祭」で、9日間、続く。最終日には、幼きイエスの像が登場する。ホント、フィリピン人はお祭り大好きで、1年中、お祭りばっかりだ。

最近では、シヌログ祭といえば、ダンスの祭典として有名になっている。各地のダンス・チームの代表が集まって、町中で競い合うらしい。みんな、シヌログ祭への参加を勧めてくるが、残念ながら、本番は日曜日らしい。その頃には日本だ。あらまあ。残念。

2016年1月10日 これもひとつの親孝行か!?

行ってしまって、逃げてしまって、去ってしまって……で知られる年度末だ。ボクの怒涛の年度末も本日から開始。

これからフィリピンに出発する。今回は1週間の渡航だけど、帰国して1週間したら、今度はナイジェリアへの渡航が30日間、それからその2週間後にはスーダンの25日間の渡航が待っている。ほとんど海外に行って本年度が終わってしまう計算だ。誰がこんな人生を予想していただろう。

今までずぅっと知らなかったが、母親はボクに世界で活躍する人になって欲しかったらしい。ちぃ子(妻)に「こんな形で夢が叶った」と嬉しそうに語ったらしい。おっかしいなー。「医者か公務員か学者になれ」と言われて育ったような気がするんだけど……。ママン、実は密かにそんな夢があったんだねー。果たしてその夢が叶ったと言えるのかどうなのか……。いずれにしても、この仕事であっちこっちに飛び回って、ちぃ子やツクル氏(息子)には苦労を掛けているが、ひとつの親孝行になっているのかもしれない。

そんなわけで、ちょっとフィリピンに行って参る!! 1週間だと、もう、気楽な旅に感じてしまうボクである(笑)。

2015年12月6日 文化的な生活としてコーヒーを愉しむ

朝の5時にドバイに到着。本日は空港に1泊して、早朝の2時半の便で成田に向かう。待ち時間がかなりあるので、ドバイ空港を散策。

空港の中とは言え、ナイジェリアと違って、非常に文化的だ。マクドナルドやバーガーキング、スターバックスがある。大体、喫茶店でのんびりとコーヒーを飲む、というスタイルが、ナイジェリアにはまるで期待できない。シェラトン・ホテルの中にすら、そういう喫茶店の類がないのだ。コーヒーを頼んで、椅子に座って読書を愉しみながらコーヒーを飲む。ただそれだけで非常に幸せな気分に包まれる。こういう場を提供してくれるようなベスト・プレイスがナイジェリアにもあれば、随分、違ったものになるだろうなあ。

いつも、ドバイでまったりとして、文化的な生活を取り戻して、それから日本に帰るのである。

2015年12月5日 さようなら、ナイジェリア。

本日帰国。1か月半滞在していたナイジェリアとはお別れだ。午前中にシェラトン・ホテルの8階にあるプラチナム会員専用のラウンジで総括と業務引継の打合せ。もう何度も長期滞在しているので、チームのメンバはほとんどがプラチナム会員だ。毎日、総括への報告を欠かさないボクなので、実のところ、引き継ぐべきことなんてそんなにない。打合せとは名ばかりで、ほとんど雑談みたいなもの。さようならの挨拶である。

夕方、護衛警官を引き連れて、ンナムディ・アジキウェ国際空港へ。この空港は本当に腐敗している。職員は何とかイチャモンをつけて金品を奪おうと虎視眈々とチャンスを窺っている。やれ、荷物の中身をチェックするとか、やれ、重さを量ってやるとか、やれ、出国カードを代わりに書いてやるとか……。まともに対応すると金品をせがんでくる。そういうのをいちいちうまく潜り抜けて機内に転がり込む。不愉快以外の感想は抱けない。ナイジェリアの空港がワースト1に輝いているのも頷ける。最後の最後で、ナイジェリアの印象が最悪になって帰国する。いつものパターンだ。

ドバイ経由で空港に1泊して、月曜日の夕方には日本に到着の予定。

2015年12月4日 信教の自由

基本的人権のひとつに「信教の自由」というのがある。自分の好きな宗教を信仰する自由と、布教や礼拝などの宗教活動に参加する自由と、宗教団体を結成する自由のこと。引っ繰り返せば、特定の宗教の信仰を強制されない自由と、特定の宗教の宗教活動への参加を強制されない自由がある。要するに、何を信じてもいいし、何を信じなくてもいい、ということ。自分の信仰も保証されるし、他者の信仰も尊重しなければならない。

ムスリムやムスリマ(女性形)は1日に5回もお祈りをする。「صلاة(サラート)」と呼ばれている。日本語では礼拝。また、イスラームの祝日である金曜日には、5回のお祈りのうち最低1回はモスクを訪れ、お祈りをすることになっている。ラマダーンになると断食が始まるし、食事もハラールじゃなきゃダメなので、ものすごい制限が課される。

そんなわけで、ムスリムやムスリマの大勢いるような国でプロジェクトを進めようとすると、大変である。まず、お祈りの時間は日の出、日の入りなどで決まるため、季節と場所によって異なる。ボクにはいつお祈りが始まるか分からない。だから、うまくスケジュールを決められないし、事務所を訪れてもお祈りタイムに突入すると、みんな、席を外している。金曜日になれば、いつの間にか、モスクに行ってしまうので、ほとんど作業はできない。ラマダーンになると集中力は低下する。

そんなわけで、プロジェクトが遅れていても、トラブルがあっても、信仰心に篤い彼らはお祈りに勤しむ。「こんなヤバい状況なんだから、お祈りなんかいいじゃないか!」というのは、冒頭で書いたとおり、信教の自由に反する。自分の信仰も保証されるし、他者の信仰も尊重しなければならない、というわけだ。

いろんな宗教があって、いろんな習慣や文化があるわけだけれど、決められたルールや儀式的な活動が多いと、その宗教に属していない部外者は勝手が分からないし、いろんな感情的な衝突も生じる。例えとしてはイマイチだけれど、喫煙者が仕事中にしばしば抜けて一服するのに、禁煙者は休憩ができないからおかしいじゃないか、と揉めるような、ざわざわとした小さな感情の衝突みたいなものが生じる。イスラームって、結構、ルールが厳しいので、一緒に生活すると、大変だ。プロジェクトを進めながら、必死に彼らの生活習慣やルールに慣れようとするわけだけれど、外側から見ているだけでは、分かり合えない。

本日は金曜日。スペシャル・フライデー。あまりに成果が上がらないので、プロジェクト・メンバが激怒。午後に強硬に作業を進めようとして、「午後はモスクでお祈りだからダメだ!」と他のメンバに諫められていた。相手の宗教を尊重することは、なかなか難しい。

ちなみにナイジェリアのクリスチャンはいいところ取り。日曜日はお休みで教会に行くが、金曜日もムスリムと一緒になって「スペシャル・フライデー」を満喫している。そのくらい大らかでもいいのかもしれない。

2015年12月1日 英語での協議にヘトヘト

昨年度は1年の約3分の1(120日)は海外にいたことになる。今年度も約4分の1(99日)は海外にいる。もしかしたら、もっとかも知れない。英語で会話をすることにも随分、慣れてきた。それでも、英語で協議をするのは、やっぱり大変で、非常に疲れる。日常会話は気楽でいい。ヒアリングもある程度、事前に質問事項を考えて台本を作成できるので、リスニングだけが問題になる。プレゼンテーションも質疑応答は嫌らしいが、発表中は事前に台本を準備できるし、発表であれば、知っている単語だけで勝負できるからいい。でも、協議になると、何分、相手のいることなので、それに合わせて柔軟に喋らなければならないし、厳密さを求められるので、四苦八苦である。未だに慣れないし、必死である。

本日は、現地調査と現状分析の結果を報告して、その上で自分の考えるプロジェクトのコンセプトについて説明をし、先方の了解を得た。作業依頼もした。それだけでヘトヘトになってしまった。

2015年10月26日 嗚呼、ナイジェリア!!

昨夜、ナイジェリアに着いた。赤茶けた大地を護送車両で揺られながら、ああ、戻ってきてしまったなあ、と脱力。

赤茶けた大地
赤茶けた大地
護送警官への支払い
ホテル前にて護送警官に支払い

それにしても、目に見える恐怖と目に見えない恐怖があるなら、ボクは目に見えない恐怖の方が怖いらしい。最近、アブジャ市内でもテロがあったと聞いているけれど、エボラが流行っていたときのナイジェリアの方が、ボクには怖く感じられた。どちらにしても遭遇したら避けられないので一緒のはずなんだけど。

機内が非常に寒くて毛布に包まっていた。後ろのお客さんがフライトアテンダントにクレームを言っているのが聞こえる。主語が全部「we」だ。「我々はとても寒さを感じている」とか「我々は温度の適正な管理を望んでいる」とか(直訳的だけど!)。こういうときに「we」を使うんだねえ。ワンオブゼム。代表意見みたいな感じがして不思議な感覚。代弁してもらってありがとうという気もするが、お前なんかにひとまとめにして欲しくない、という気持ちもあり、複雑な気持ち。

2015年10月24日 またまた出発!?

本日よりナイジェリアに向けて出発。45日間の渡航。微熱が続いているのが心配だが、仕方がない。さてはて。

ツクル君も最近では、大分、色んなことが理解るようになってきた。大きい小さいとか、こことそこ、あそこの違いが分かる。そんな彼は45日間の父不在で何を感じるだろうか。

暑いところに行って、寒いところに帰って
来る。これも辛いところ。さて、頑張ろう!

2015年10月15日 スカート禁止!

ももクロの男性限定ライブは憲法違反だとかで市民団体が騒いでいるらしい。男性限定ライブもあれば、女性限定ライブもあるので、ある意味では平等ではないか、と思う。でも、男性しか入れない空間とか、女性しか入れない空間というのが、そもそもの差別だ、ということなのかもしれない。となると、究極、トイレもお風呂もジェンダー・フリーにすればいいじゃんね? ……って、実はトイレについてはジェンダー・フリーを進めている地域もある。カルフォルニアでは段階的に小学校の男女別トイレを廃止していく方向性だとか。うーん。それが目指すべき姿ならどうぞご自由にって感じだなあ。

ボクからすれば、映画のレディース・デーなんて堂々たる差別だ、と思う。最近じゃ、女子会なるものが増えたためか、女性限定メニューを取り扱うレストランや飲み屋も増えている。この間、マテピのオフ会でいろいろとホットペッパーでお店を調べたら、男女で価格が違うコース料理も結構、設定されている。メンズ・デーとか男性限定メニューはないわけで、明らかに不平等。実のところ、商業的な分野では、女性が優遇されている。

この背景には「価格弾力性」という経済の特性があるらしい。価格の変動が供給にどれだけの影響を及ぼすか、というもので、女性の方が「価格弾力性」が大きいのだとか。だから、レディース・デーにはインパクトがある。メンズ・デーをつくってもインパクトが小さいのだ。でも、それって売り手の勝手な思惑であって、サービスを受けるボクたち男子諸君には関係ないわけで、やっぱり差別である。

あ、真剣にそんなことを考えているわけではないよ? いつだってボクはバカバカしいなあ、と思っているのだ。だって、ボクがポスターに女の子を描いたら「女の子を描いたら男の子も描かなきゃダメ!」と広報担当者に叱られ、女の子にスカートをはかせたら「女の子にスカートをはかせるのはダメ!」と言われる。スカートをはきたい女子はどうすればいい? 大体、知っている? 緑、オレンジ、紫、黄色、茶色。行政のポスターをよく見ると、イラストに描かれる人々の服の色って、ものすごく限定的だ。青い服を着たらダメなの? 赤い服はダメ? それこそ男女差別以前に自由への冒涜だ。大体、描かれた子供が女の子だって、君はどうやって判断をした? 髪の毛がちょっと長いから? スカートをはいているから? 男の子かもしれないじゃん! ボクはスカートをはきたかったし、髪の毛だって長い方が好き。男女共同参画って何だろうね? わははー。

* * *

来週の24日からナイジェリアに行くことになりそうだ。今回は1か月半の渡航。折角なので、ファンタジィ事典用にイラストでも書こうか、と画策中。シュメル・アッカド神話のウェブサイトも構想してみようかなあ。ナイジェリアでも日本同様に楽しめるように、いろいろと準備を進めなきゃ。

2015年8月17日 ナイジェリアン・ジョーク!?

本日から2週間、ナイジェリアから4人の幹部が来日して研修を受ける。折角、日本に来るのだ。貴重な2週間。吸収できるものを何かしら持ち帰って欲しい、と思う。今回は、講義の内容も講師もスケジュールも、全部、ボクが一人で勝手に決めた。誰もアドバイスをくれないし、良し悪しも評価してくれない。完全に放任。果たしてちゃんと満足してもらえるか。責任重大だ。始まってみないとどうなるか分からないので、連日、不安に押し潰されそうである。

冒頭の挨拶でナイジェリアの営業課長が厚顔無恥にも言ってのける。「我々はついついもっと支援を、もっと援助を、とねだってしまう。そういう性格なので大目に見て欲しい。でも、我が国にもっともっと支援をくれたら嬉しいのでよろしく!」。総括と一緒に、頭を抱えてしまった。これはナイジェリアン・ジョークの一種なのだろうか。

今回は4人ともムスリムなので、お酒は飲まないし、当然、豚肉は食べない。ハラールじゃないと食べない。だから「食」という意味でのおもてなしは非常に難しい。ウェルカム・パーティも、レストランにハラールでお願いをした。でも、正直、ハラールであるかどうかは完全な信用商売だな、と思う。出されたものを見ても、分からないもんね。

2015年6月27日 さようなら、ナイジェリア

本日、ナイジェリアより帰国。午前中、シェラトンホテルのプールサイドで残留メンバに事務的な申し送りと技術的な引継ぎをして、午後から武装警官とともに揺られて、ンナムディ・アジキウェ国際空港へ移動する。

途中、空港までの送迎のドライバと助手席に座る武装警官が、高速道路の料金の支払いを巡って料金所の職員と揉めている。「払わないと通れない」「払う必要はない」などと侃侃諤諤やっていて、いつまで経っても進まないので、ボクが「いくらだ? こちらで払う」と伝えると、ドライバが「もう少しで押し切れる。待て」などと言う。乗客は日本人だとか、大使館がどうだとか、そんなことで押し問答を繰り広げている。そのうちゲートが開いた。ドライバと武装警官が大喜びでハイタッチ。「料金所の職員には悪いことをした」「ラッキィだった」などとゲラゲラ笑っている。困ったものである。

空港では、出国の際に「スーツケースにビールが2本入っている。開けろ」とイチャモンをつけられる。「2本はダメなの? 3本までではなかった?」と訊くと「いいから何か寄越せ」と開き直って手を出してくる。どうやら通りたければ賄賂を払えということらしい。出国カードも職員が群がって来て「俺が書いてやる」「俺が書いてやる」などと言って金品を要求してくる。荷物検査のときはひどくて「財布の中身も見せろ」「中身を分けてくれ」と直裁だ。空港職員、腐敗しているなあ。困ったものである。

それでも、1か月半のナイジェリア生活もこれでお仕舞いだ。ようやく日本に帰ることができる。

2015年6月3日 「だから一緒にやろう!」

ボクは現在、地理情報システム(GIS)の専門家としてナイジェリアに来ている。でも、実のところ、自分のバックグランドに、専門としてGISに関する部署に在籍して、GIS構築の業務に取り組んだ実績があるわけじゃない。すでに大昔に誰かが構築したGISを活用して仕事をした経験があるだけだ。つまり、利用者サイドにいても、製作サイドにいたわけじゃない。それなのに、今、こうしてナイジェリアの地で、GIS構築を指導している。

もちろん、ね。GISを見たことも使ったこともない彼らだ。ボクは使ったことがあるので、アドバンテージはある。でも、本当は、パソコンを使えるからと言って、パソコンを組み立てられるわけではない。それでも、パソコンを使ったことのない人よりは、上位に立てる。そんな感じ。その辺のモヤモヤした気持ちはある。

ボクが助言したことがそのまんま、彼らのGIS構築に反映されていく。そりゃあ、確かに、こういう出力があると便利だから、こういう情報を入れた方がいいとか、将来的にこういう風に活用していくから、こういう風に情報を整理した方がいいとか、利用者の視点を踏まえている点、適切なアドバイスにはなっていると思うけれど、本当のところ、もっと効率的に、うまくGISを構築していく方法って、あるのかもしれない。

たった一人でSuleiman氏と対峙して、二人で話し合って意思決定する。正直、しんどい。今日も、独断と偏見でGISの基本の縮尺を1/2000と決めた。図面の基準点もえいや、と決めた。ごちゃごちゃしていたので、衛星写真のレイヤを非表示にするという決断もした。これでいいのか、と悩むことだらけ。それなのに、少しずつ形になっていく。形になっていけばいくだけ、これでよかったのか、と不安になることばかりだ。

まだまだ作業は山積み。「大変だねえ」と呟いたら、Suleiman氏が「確かに困難だ。でも面白い。だから一緒にやろう!」と頷いた。何だか、ナイジェリアに来て初めて報われた気がするし、彼のためにも頑張ろう、と思った。

Suleiman氏とGIS

2015年5月20日 闇市とバイク・タクシー

ナイジェリアではガソリンの値段が高騰している。産油国なのに精製は国外でやっているらしい。政府とガソリンの卸売業者で金銭のやり取りがうまく行っていない模様。入荷が制限されている。あちこち路肩に車が停まっていて、ポリバケツを持った人々が水みたいに薄められたガソリンを売買している。闇市のガソリンだ。我々もプロジェクト用の車両を供与されているが、移動は極力控えなきゃいけない。

昨年の11月に来たときにはたまにしか見かけなかったバイク・タクシーが市内をあちこち走っている。みんな、自家用車の使用を控えているのかもしれない。

2015年5月17日 ギブ・ミー・ア・チョコレート

アブジャのンナムディ・アジキウェ国際空港に到着。早速、税関に引っ掛かり、スーツケースを開けるように指示される。禁止されるものは入っていないが、日本で調達して現地に持ち込む機材があって心配。案の定「新品か?」と問われる。「我々が日本で使っていたもの。我々が業務で使うもの」と説明。でも、結構しつこい。そのうち、担当者が宇治抹茶のキットカットに気づいて「これは何か?」と訊く。「日本のチョコレート。お土産だ」と応えると「ギブ・ミー」としつこい。どうやら、渡すまで解放しない構えのようだ。仕方ないのでチョコレートだけ取り出して、机の上に置いて、閉めてもいいか確認してスーツケースを閉める。それから1箱だけやる。すると2人寄って来る。「彼らにも」。もう、面倒臭くなって渡してやる。するとニコニコしながらゲートまでガイドしてくれた。この野郎、と思う。

その後、護送警官と一緒に空港から市内までの幹線道路を走る。車窓から見える赤茶けた大地や建設中の街並みを眺めながら、ナイジェリアに戻ってきたことを実感する。1か月半のナイジェリア生活は始まったばかりだ。