2014年5月10日 教育と誠実さ

フィリピンに来て10日くらいが過ぎた。土曜日が来て、ようやく「日々の雑記」をWordに落とし込む。それだけで、少しだけ、気持ちを整理出来るから不思議だ。フィリピンでの出来事を整理して、落とし込めた。

* * *

今回のプロジェクトでは、日本から最新鋭の機材を持っていった。でも、結果は不明確だ。何とも言えない感じ。ボクの使い方が悪いのか、そもそもの機械の性能がそういうものなのか、それなりに結果を評価するのに経験が必要になるのか。いずれにしても、明確にズバッと結果を示してあげられない。どう評価して、どうやって伝えようか。悩ましい。ケンさんは「嘘でもいいから言い切ることが大切だ!」と言う。「曖昧なポーズは見せない。これはこうだ!と言ったって、誰も分からない!」。まあ、そうだろうな、とは思う。こちらが教える側なのだから、そうあるべきだろう。先生が曖昧じゃ、生徒は大変だ。でも、一方では、そういうのは誠実ではない、とも思う。難しいところ。もう少しだけ、悩んでみよう、と思う。

2014年5月8日 当たり前が通じないのが海外だ!?

何事も積極性が大事である。特に海外でのコミュニケーションはそうだ。今日は比較的、カウンタ・パートと喋れたな、という感じ。レンタカーのドライバとも、支払いや明日の予定について、何とか交渉出来ている。漏水調査のコツを覚えてきた。フィリピンのスタッフはもちろんのこと、ボクも要領が分かってきた感じ。コツが分かれば、多少、スムーズだ。少しだけ、希望の光が見えてきた。ミャンマーに派遣されていたときには、どうやって絡んでいけば分からず、一歩、引いていた。今回は、多少、自分のペースを持ち込んでやれている。

* * *

それにしても、フィリピンのスタッフに、効率的にやろう、という精神性がないので辟易だ。その辺は文化なのもしれないし、教育なのかもしれない。日本人が真面目すぎるのかもしれないし、教育されているのかもしれない。みんな、のんびりだし、思い思いに行動している。分担とか、引き継ぎとか、報連相の類いはない。誰かがどこかで作業が終わっても、それに満足して完了の連絡はない。当然、次の作業に移動するサインも出ない。しばらく待っていて、こっちが「フィニッシュ?」と聞くと「おお、イエス」と指を立てて笑う。とっくの昔に終わっていたらしい。終わったのなら、他のメンバに完了の旨を伝えてくれ。みんな、君を待っているのだ。その辺のシステマティックなやり方を、今日はホワイトボードで一所懸命説明するボク。きっと、こういうことが、海外で仕事をする、ということなのである。当たり前は通じない。

2014年5月5日 男女共同参画って何だ!?

日本だと、管理職って男性ばっかりというイメージがある。でも、フィリピンじゃ、女性スタッフが要職に就いている。ここじゃ、総裁が女性だし、会議の出席者の半分以上は女性だ。会議に出てくる人というのは、それなりのポジションの人だ。その点じゃ、日本よりも進んでいる。

しかも、みんな、結構、若いように見えて、実は家に帰れば子供がたくさんいるのだ。それでも、ちゃんと仕事と育児が両立出来ている。不思議。フィリピンじゃ、家族が多いからなのかなあ。もう、親類縁者が数えきれないほどいて、誰が誰やら分からないくらい。みんなで仲良く暮らしている。そういう家庭で、みんなで子育てするシステムなのかもしれない。核家族だと、なかなか難しいよなあ。

* * *

カガヤン・デ・オロにはワインはないらしい。エヌ井さんはご不満らしい。ワインを求めて毎日、彷徨っている。それでも、ちゃんとしたワインが飲めていない。

2014年5月4日 路地の奥にあるランドリィ・ショップ

ホテルのボーイに紹介してもらったランドリィ・ショップ。

路地の奥にランドリィ・ショップ
路地の奥にランドリィ・ショップ

まさかこの路地の奥がランドリー・ショップだとは誰も思うまい。階段の上でお婆ちゃんが昼寝していて、話し掛けると、子供たちがわらわらと現れた。そして、洗濯物を持っていく。「名前は?」「3着しかないの?」「明日の昼には出来るよ」「どこのホテル?」などと勝手にみんな喋っている。一番小さい女の子の英語が一番、流暢できれいだったので、部屋番号と名前を告げておく。現地ならではの体験である。

3着だけ洗濯物を頼んだら50ペソ。120円くらい。まあ、そんなもんだ。

2014年5月3日 まずは心臓から遠いところから!!

カガヤン・デ・オロ市に入ってからの最初の休暇。とは言え、非常に蒸し暑いので、ボクはダウンしている。午前中は頭痛に苛まれて、ベッドにごろん、と横になっていた。

午後からは復活して、町を散策する。大きな複合施設があっちこっちにあって、栄えているなあ、という印象。道路はガタガタだし、のんびりと自転車タクシーが走って大渋滞を引き起こしているし、電線はぐちゃぐちゃ、給水管も露出して地上を走っている。そんな田舎の景色に、突如、ででーん、ときれいな巨大施設が出現する。こういうのは、東南アジアならではなのかもしれない。

ボクは本屋を散策。でも、フィリピンの本屋は乱雑で、何がどこにあるのか、全ッ然、分からない。それでも、子供向けのフィリピンの神話・伝承みたいな本を発見。どうも、神話・伝承とか言いながら、民話っぽいな、と思ったので、購入は躊躇している。もう少し立ち読みしてから考えようと思う。

そうそう。エヌ井さんって、結構、フットワークが軽いというか、アクティヴな人だ。土曜日なので仕事としてはお休みなんだけど、2時間くらい1人でふらふらとカガヤン・デ・オロを散策していたらしい。しかも、ちゃっかり安いランドリィ・ショップを発見して、洗濯物を預けてしまったという。

ちなみにホテルは水しか出ない。どうやらボイラが故障しているらしい。ボクなんかは、まあ、こんなもんか、と思って諦めている。でも、エヌ井さんは諦めない。ホテルの人と連日連夜、いつ直るのかとか、今、どういう状況なのかとかコミュニケーションをとっている。エヌ井さんによれば、日曜日にはマニラからエンジニアが来て直すらしい。わざわざマニラからエンジニアを呼ばなきゃいけないとは、一体、どういう技術水準なんだ? うーん。

ケンさんは「まずは心臓から遠いところの水浴びから始めると、血管が冷えるので、身体が冷えます。そうすれば、そのうち、水が温かく感じられるようになります。慣れれば充分、温かい水ですよ」なんてアドバイスしてくれる。フィリピンは朝も夜も非常に暑いので、水のシャワーでも充分かもしれない。最近では、ボクもそう思うようになった。

2014年5月2日 計画停電とJICAプロジェクト

現地業務の最初はKick-Off Meetingから始める。我々がこのプロジェクトで何をやるのか、というのを現地スタッフに説明して、了解してもらう必要があるからだ。

ところで、カガヤン・デ・オロ市は毎日、数時間の計画停電があるらしい。電気は水力発電に依存しているようで、雨が降らず、水不足なので、電気が作れないのだそうだ。日本も原発事故の後は計画停電があった。電気が足りない、というのは非常に大変だ。当然、冷房も動かないし、パソコンも動かない。それに、いろんな施設や設備も動かなくなってしまう。もう、全ッ然、仕事にならない。社会として大きな損失だ。

本日は、我々の事務所は12時半から16時半までの4時間の停電が計画されているという。事務所にいても暑いばかりなので、打合せは午前中までにして、午後からは現場視察だ。現地スタッフに市内を案内してもらう。

施設のあちこちに日本の旗がプリントされているのが印象的だった。2011年に北ミンダナオを大きな台風が襲った。国際的にはWashiと呼ばれているけれど、フィリピンではSendongと呼ばれている。この大風で、カガヤン・デ・オロは大きなダメージを受けたわけだけど、JICAが入って台風被害のリカバー事業をやったらしい。施設のあっちこっちにJICAへの感謝が書かれていたり、日本の旗がプリントされていたりして、何だか日本人として誇らしくなる。頑張れ、JICA!! こうやって、フィリピン人が親日になればいい、と思う。

2014年5月1日 M浦さんの話

フィリピンは本日はメーデーなので、現地の人々はみんなお休み。だから、我々は移動日だ。ニイノ・アキノ国際空港(NAIA)からカガヤン・デ・オロに向かう。

カガヤン・デ・オロと言えば、M浦さんの奥さんの故郷だ。そして、M浦さんと言えば、ボクを国際協力の道に引き込んだ諸悪の根源だ。新入社員だったボクは、M浦さんに誘われるままに国際協力の部会に参加するようになった。当時はまだ仕事は人に張り付いた時代で、海外から研修員が来るたびに、M浦さんが受け入れを引き受け、ボクらの職場が研修の舞台になっていた。M浦さんは結構、無茶をする人で、当時の課長や係長に英語で挨拶させたり、親方の設計現場に行って、親方に設計思想を説明させたり、いい意味でも悪い意味でも、職場全体での受け入れを実践していた。ボクもそれに巻き込まれながら、当日の英語資料や課長、係長の読み原稿なんかを作ったりしていたわけだ。

当時はD田さんが人材開発課にいて、結構、無茶な仕事を振って来る。一番、記憶に残っているのは、2月の終わりに海外研修員が訪日していて、D田さんから彼らを現場に連れて行って欲しい、と頼まれたこと。2月の終わりなんて、大抵、工事はほとんど終わっている。いろんな工事部隊の現場を当たったけれど、案の定、全部、工事は終わっている。仕方ないので、M浦さんとボクは勝手に図面管理の講義に切り替えて、竣工図を片手に竣工現場に行くことにした。実際の工事写真や図面を見ながら、設計から完成までの流れを説明して、完成品がどういう風に図面になって管理されているかを説明した。ベトナム人がしきりに感心していたのを、今でも覚えている。そういう小さなことが、きっと、ボクをフィリピンの地に立たせているのだ。

で、そのM浦さん。あるとき、ボクが趣味で雑誌を作るのを見て、自分も作ってみたいと相談を受けたことがある。結婚報告の雑誌を自分もつくるのだ、と言うのである。だから、印刷業者を紹介して、作り方、紙の選び方、注文方法なんかを教えたことがある。そうやって出来上がった雑誌の中に、奥さんとの結婚までのエピソードが入っていて、そこにカガヤン・デ・オロという地名が登場した。カガヤン・デ・オロは、まさにM浦さんの奥さんの故郷で、M浦さんがフィリピンで結婚式を挙げた場所なのだ。何の因果だろうなあ、と思っている。

ああ、全然、話が脱線している。まあ、いいか。

閑話休題。

そんなわけで、本日はフィリピンはメーデーなので、ボクたちはマニラからカガヤン・デ・オロに大移動。

カガヤン・デ・オロの風景
カガヤン・デ・オロの風景

写真はカガヤン・デ・オロ。ホテルの近く。タイのトゥクトゥクみたいなのが走っていて、結構、田舎だ。

2014年4月30日 海外での誕生日!!

ハッピィ・バースディ・トゥ・ミィ。そんなわけで、本日、誕生日。33歳になった。まさか海外で誕生日を迎えるとは!

フィリピンでは、誕生日を迎えた人がみんなにごちそうを振る舞うらしい。というか、日本以外はそんなもんだ、と聞いた。だから、本日、ボクが誕生日なのは内緒である(笑)。

2014年4月29日 50万円を懐に右往左往inフィリピン!?

国際ビジネスの業界用語で「ロジ」というのがある。Logistics(ロジスティクス)の略で、日本語では《後方支援》と訳されたりするんだけど、レンタカーやホテル、航空券の手配、現地で必要な備品の調達、その会計などの業務である。現地でやるのは「現地ロジ」。たとえば、その日のレンタカーの運転手、電話番号を確認して、時間や行先、支払について調整するような仕事だ。

以前、ミャンマーに行ったときには、主催する企業のY田さんが奔走されていた。お湯が出ないからホテルの部屋を変えてくれとか、プリンタの紙がなくなったから買ってこいとか、このデータをスキャンしたいからスキャンできる店を探してくれとか、そういう調整を一手に彼が引き受けていて、結構、大変だなあ、と思っていた。ボクはそこにゲストとして参加していたわけだ。今回の案件はホスト参加。つまり、ロジを全部、自分たちでやらなきゃならないということ。現地ロジは必然的に一番若手のボクがやることになる。

そんなこんなで、マカティー市のホテルで初日のミーティングの後、いきなりケンさんから50万円渡された。ケンさんが半分、ボクが半分。リスク分散というわけだ。日本でもそんな大金を持ち歩かないのに、治安の悪いフィリピンの地。ボクは50万円を懐に、右往左往している。

2014年4月28日 出撃準備、万端!?

いよいよ明日、フィリピンに出発だ。異動してから怒涛の日々だった。23日に今の会社に異動になって、まだ4日間しか出勤していない。新しい会社の人々とのコミュニケーションもそこそこに、明日からいきなり36日間の長期出張だ。

スーツケースは細々(こまごま)した日常品を放り込んで蓋を閉めればオーケィな状態。今日は朝からフィリピンに持っていく機器を提供してくれる会社と最終調整。機器の使い方に関する英語のマニュアルをゲットした。

職場に戻ったら、前の会社からメールが届いていて、頼んでいた資料をゲットした。異動前に準備していた資料と合わせて、これで資料が揃った。この資料があれば、現地でいろいろと説明できる。

持ち物についてはこれで準備万端。後は……ボクの心の準備。それから今回のミッションに関わるいろいろなお勉強。何しろ、まだこの会社に異動して来て4日しか経っていないのだ。

2014年4月24日 JICA? No Payment!

フィリピン大使館にビザ取得に行く。滞在日数が1か月を超過すると、延長申請が必要で、窓口まで本人が出向かなきゃいけないらしい。今回の出張は36日間なので、こうして、ビザが必要なのである。すでに14日に申請の手続きは終わっているので、今日は受け取りのために六本木までお出掛け。

六本木を出て、大使館の方に歩いて行くと、途端にたくさんのフィリピン人で溢れている。日本じゃないみたい。これだけたくさんのフィリピン人が日本に滞在している、ということだ。

さてさて。通常、ビザの延長申請の料金は3,000ペソとちょっとくらい。日本円に換算すれば7,000円はいかないくらいの金額で、比較的、高額だ。料金を支払おうと思って窓口に並んでいたら、係員の人がボクのビザを見て、「JICA? No Payment!」と言った。どうやらお金はいらないらしい。ををッ、さすがはJICA様。支払いが免除された。JICAってすごいなあ。優遇されている。

2014年3月31日 赤紙召集!?

まさかの赤紙召集だ。わはははー。ひとつの意思決定をした途端、話がトントン拍子。突然、1か月の海外派遣を命じられる。長いぞッ。しかも結構、危ないところだ。昨年の7月にレストランが爆破されて、6人が死亡しているような感じの場所。うーん、大丈夫かな。でも、まあ、心配していても仕方ないので、死ぬ気で頑張ろう(こらこら、洒落にならないぞ!)。

そんなわけで、4月の末からフィリピンのカガヤン・デ・オロ市に長期出張。ミンダナオ島はイスラームの過激派がまだまだ健在だ。イスラームって、教義的にはいい宗教だ、とは思うんだけど。のっけからムハンマドがジハードを謳いながら、戦争をやっちゃった所為で、やっぱり、どこか歪んでしまっている。戦争が正当化されちゃっている。本来のジハードは、「目標に向かう努力」だ。内的な努力と外的な努力があって、「聖戦」なんて訳しちゃ、本質的な訳にならない。でも、実際問題、ムハンマドはウンマ建設を掲げて外的な戦いを推し進めてきて、その結果、それもジハードのひとつになってしまった。

そんなわけで、20世紀の終わりから現在に至るまで、原理主義的なイスラーム勢力があっちこっちで暴れ回っている。フィリピンもその影響を少なからず受けている、ということだ。