2017年7月5日 パキスタンにいます!

いつも雑記での報告が遅くなるのだけれど、今、パキスタンにいる。7月3日から8月1日までの30日間である。この間にウルドゥー文字が読めるようになれればいいな、と内心、思っているのだけれど、いろいろとお仕事で各方面から先制パンチを喰らって、それどころではない。文字通り、斃れそうである。嗚呼! これがパキスタン・クオリティなのである! 全ッ然、働いていないじゃないか、お前たち!!(何のこっちゃ!!)

実は、出発の直前に食中毒みたいな雰囲気でお腹を壊したので、さてはて、何が原因だろうか、とチーズに八つ当たってみたりしたのだが、飛行機に乗っている間に何とか治まった。結局のところ、単に疲れが溜まっていたのかもしれない。夏風邪だったのかもしれない。あるいは、太田胃散の賜物かもしれない。だとしたら、太田胃散は偉大である。

現在、パキスタンは非常に暑くて大変である。天気予報では日中46℃などと表示されている。それだけでも気分はダウナーだ。護衛警官がつかないので現場に出られないのが幸いだが、でも、本当ならすぐにでも現場に行って遅れを取り戻したいので、この辺は矛盾した感情が渦巻いている。

何のことやら、という雑記ではあるが、要するにパキスタンにいるからね、という近況報告である。ふふふ。

2017年7月8日 ヒアリというアメリカの女優か何かかが活躍しているのか、と誤解したボクであ る。

最近、ネットニュースで頻繁にヒアリという単語が登場する。でも、ボクはこのヒアリという文字を読んだとき、すっと頭の中に入って来なかった。何しろ、ボクの頭の中では「火蟻」という認識だったからだ。

ヒアリと言えば、ちょうどボクが幼稚園の頃、アメリカに行っていたときに、妹がまさにこのヒアリの巣(蟻塚)を踏み潰して、わらわらわらーっと一瞬で下半身が蟻まみれになったのを目の当たりにした記憶がある。ヒアリに噛まれた妹はすぐに病院に運ばれたが、真っ赤に腫れて、大惨事だった。神戸港にヒアリが上陸したという話を受けて、そんなことをパキスタン出発前に父と話した。アナフィラキシーを起こすらしいので、今頃、妹君は戦々恐々だろう。

そんなわけで、ボクはヒアリをよく知っている。ヒアリの蟻塚だって見ている。それでも、ヒアリとカタカナで書かれてしまうと、頭の中で結びつかなかった。一瞬、ヒアリという名前の有名人でも登場したのかな、などと思ってしまった。

言葉は伝達の手段だ。「火蟻」と書けば絶対に伝わるし、強烈なイメージを喚起する。生き物だから厳密にはカタカナで書くべきなどという変な風習というか文化が、ヒアリという表現を使わせているのだろうか。日本には漢字、ひらがな、カタカナを組み合わせられるという素敵な文化があるのだから、漢字が適切なときには漢字を使うべきではないか。

2017年7月21日 蒔いた種が芽吹き、繋ぎ合わせて形になることを祈る。

基本的に、ボクは現場合わせで生きている。いろんなことを想定しながら、ああでもないこうでもないと無数の準備をしておいて、走りながら、あ、こっちか、いや、こっちかもしれないな、いやいやこっちでやってみようか、と手持ちの素材を繋ぎ合わせながら、微調整を重ねて、重ねて、最終的には何とかする。捏ね繰り回して、結局は何とかするのである。間違えてはいけない。何とかなるのではない。何とかする。ばらばらのものを繋ぎ合わせようとする意志の力である。

でも、最近のボクは、このボクの仕事のストラクチャーがうまく行かない場合があることも知っている。どれだけうまく行くやり方で、どれだけボクが成功していても、ボクのコントロール下を離れた途端に、あっという間に破綻する。最近、何度かそういうシーンを突きつけられた。つまり、こういうのはアートなのであって、決して決してサイエンスではないということなのだろう。

これは、決して誰かをバカにしているわけではない。ボクが手を抜いていること、後でやろうと据え置いていること、予想して準備していること、そういう表には出てこないたくさんのものが、実のところ、他の人には見えない。だから、ボクのストラクチャーを模倣できないということだ。だからこそ、アートなのであって、サイエンスではない。こういうやり方は、組織としてはうまく行かないので、結局、個人プレーにならざるを得ない。でも、それじゃ、ダメだと思っている。何らかの方向転換が必要だろう。いつかは行き詰るような予感がしている。

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本日、先輩に「あなたといると不思議とできちゃうような気がする」と言われた。次々と課題が降りかかってきて、不可能そうな現実が何度突きつけられても、何だか最終的には何とかなってしまいそうに感じるのだそうだ。それって、ボクがバカみたいに楽観しているということだろうか。それとも不屈の精神で何とかしてくれると信じてくれているのだろうか。「でも、あなたがいなくなると急に不安になって、諦めたくなる」。

実のところ、毎日、毎日、押しつぶされそうになっているボクだ。いろんな課題が次々と沸き起こる。ちゃんとできるのだろうか。失敗するのではないか。その不安に押しつぶされそうになりながら、それでも大見得を切って「何とかしますよー!」と笑っている。そして、今度はその言葉の重みに押しつぶされそうになる。

今回のお仕事は果たしてどうなるか。ボクのストラクチャーが破綻することのないように、必死に種を蒔く。蒔いて、蒔いて、どこかしらで芽が出て、それが最後には繋がるように祈る。繋ぎ合わせて形になることを祈る。それが現時点でのボクの仕事の進め方で、祈る神さまなんて、ボクは知らない。