2016年8月27日 匿名性の弊害。

最近、ウェブのニュースを見ていて気になることがある。「ある業界関係者は」とか「元社員が」とか「身近な知人は」みたいな書き方で報じる記事だ。これって、メディアとしてのレベルを下げるのではないか、と思っている。

物を書く以上、情報源というのは大切で、可能な限り、いろんな文献を読んだり、一次資料を参照したりする。もちろん、記者からすれば「ある業界関係者」というのは匿名の誰かではなくって「取材した特定の人物」がいるのだろう。だけど、大切なことは、その「業界関係者」が本当はどういうポジションにいるのか、ということ。「ある業界関係者」という記述は、その辺が非常に曖昧になる。非常に身近にいて、日常的にその案件に接している人物なのか、ただ遠巻きに眺めていただけなのかによっても情報の質は異なる。

たとえば、あるプロジェクトに直接、従事していた人と、そのプロジェクトをやっている同じ部署の同僚がいて、たまに相談を受けていた人と、全然部署は違うけど、そのプロジェクトのことを噂で聞き齧っただけの人で、情報の質って、全然、異なる。「ああ、知ってる知ってる。あの件ね!」と語っても、それがどの程度、現場の状況を把握したコメントかは分からない。小さな会社でサラリーマンとして仕事をしていて思うのは、直属の上司だって、実のところ、本当に現場で起こっている問題を把握していないことが多いのであって、それを外から見ている隣の部署の人間に何が分かるものか、と思う。だから「ある業界関係者」も「身近な知人」も、匿名である以上、その情報の質は担保されない。

それに匿名性を秘めた記事は、捏造の可能性を孕んでいる。ライダーが嘘を書いたって、誰も検証できない。それっぽく記事が書けてしまう。だから、ちょっとオーバに書いたりする癖がついたら、ずるずると質の低い記事を書き続けるだろうな、と思う。あるいは都合のいいよく喋る「業界関係者」を捕まえて、それを真実っぽく書くことだって、出来てしまう。

そんなわけだから、匿名性を含んだ記事そのものは、信憑性を損ないかねない、と思う。でも、最近、そんな記事が蔓延していて、ちょっと愕然としている。そんな記事を大手のメディアまでが紹介してしまう時代である。

昔っから、ボクはウェブ・ニュースの記事の質を向上させるために提案していることがある。それは記事に対する評価を読者がするシステムを導入するということ。大仰な釣りタイトルや、信憑性の薄い記事、他のメディアをコピペしたような質の低い記事に対して、読者が「ノー」と言えるシステムを作れば、記事の質は向上する。ライターも少しは気を引き締めるだろう。ライターが囲い込まれた小さなウェブサイトだと、そういうのもあるけれど、もっと影響力のある大きなニュース・サイトに、そういう制度を導入してもらいたいなあ、と常々、思っている。

2016年8月27日 玉石混交。

下の記事に関連して、最近、ファンタジィ事典の記事を書きながら感じていることでも書いてみよう。

ファンタジィ事典の記事も、実は匿名性という意味では同じことが言える。たとえば「○○という説がある」とか「○○と解釈されている」とか「○○と考えられている」という記述は、書き手として非常に楽チンだ。でも「説」と書く以上、その「説」を提唱している専門家がいるはずだ。「解釈」している専門家、「考え」を持っている専門家がいるはずなのである。ところが、よくよく調べていくと、その「説」を唱えている人は学者でも専門家でもない、素人の場合もある。あるいは胡散臭い専門家だったり、偏った過激な学者の場合もあって、その「説」の信憑性が疑わしいこともある。明らかに牽強付会だろう、という説だってあるわけだ。そういうのを無視して、ただただ漫然と「○○という説がある」と書くのは、実のところ、とっても楽チンなんだけど、とっても無責任だし、とても怖いことである。

失われてしまった神話というのは、かなりの部分、学説によって支えられている。掘り起こされた文字資料や絵、創作物、その他の遺物から、かなりの部分、仮説を積み上げて、解釈を加えて、再構築されている。あんなに文学作品が残されているギリシア神話ですら、想像で補完すべき部分がたくさんある。そういう意味では、書籍に「○○という説がある」と書いてあって、それを鵜呑みにするのも怖いことで、その根拠となる学説のロジックや信憑性、提唱者の立ち位置を探っていかないと、本当のところは分からないし、そもそも「本当」ってものがあるのかどうかも分からない。

どうもアステカ神話は胡散臭いな、と感じている。いろんな間違った学説や怪しい学説が入り混じっていて、市販の本も玉石混交の印象。そういう解釈も含めて楽しむのがファンタジィだ、というのも「あり」なんだけど(たとえば、シュメルの神さまが宇宙から来たというシッチン説も丸ごと取り込んで楽しんでしまうとか!!)、でも、大昔に本気でその神さまを信仰していた人々に失礼な気がして、もう少し、ちゃんと調べないと、と思ってしまうのがボクの正直な気持ちである。メソアメリカに暮らしてテスカトリポカやケツァルコアトル、ウィツィロポチトリを信じていた人々が、スペイン人が侵入して、文字を手に入れた後に、少しでも文字資料として神話を残そうとした気持ちを、大事にしたいなあ、と思う。

で、本当は、そういう一次文献に当たりたいんだけど、日本語になっているものはほとんどないのが現状だ。英語になっているものもあんまりなくって、スペイン語が一次文献になってしまうものが多そうだ。そういう状況だからこそ、胡散臭い学説がまかり通って、訂正されずに残り続けているのかもしれない。

とは言え、結局、ボクはスペイン語が出来ないので、ただただ悩ましいなあ、と愚痴るだけで、ならばどうする、というソリューションは、今のところ、持ち合わせていない。問題提起だけして、今後、考えていこうかな、という感じ。そんなことを考えている今日この頃である、という告白。

2016年8月27日 実は個人情報なんてダダ漏れである!!

昨夜、イースト・プレスの『死者の書(まんがで読破)』のレビューをウェブサイトに書こうと思って、Amazonで検索した。

今日、昼休みに職場でFacebookを開いたら、イースト・プレスの「まんがで読破」シリーズの広告が並んでビックリした。

我が家のPCを使ってAmazon内で検索したのであって、会社のPCで検索したわけじゃない。それなのにFacebook氏はちゃんとボクの検索情報を追いかけている。

昔、Facebook氏はマイク機能をオンにしていると音声情報を収集して広告を出してくるという報告がなされていたが、ホント、Facebookにログインしたまま検索した情報が、そのまんま筒抜けらしい。すごい機能だが、怖い機能だなあ、と思う。

Google検索、Googleマップ、Google翻訳、Google+、Youtube、Gmail、Google Chromeなど、Googleもいろんなサービスを展開していて、正直、ボクの一挙手一投足はGoogle氏には監視されている。ボクが何を検索して、どこにいて、何を翻訳して、何を書いて、何を視聴して、誰にメールを送って、どんなウェブサイトを見ている。これらを分析することは、技術的にもプログラム的にも可能である。

Facebook氏も同様で、ログインしている間は、いろんな情報を掠め取っていくらしい。

常に監視されている。そういう自覚を持って生きないと、やられるゾ!!