2014年7月25日 スケジュール感というジャーゴン!?

我が社には独特のジャーゴンが多くって、困る。本日も「デマケを図る」などと言われて、ボクとしてはちんぷんかんぷんだ(笑)。

……とか書いたら、ジャーゴンだって分からねーよ、と一部から突っ込みが入るかもしれない。ジャーゴンは、内輪だけで通じる隠語のこと。警察が「ホトケ(死体)」とか「ワッパ(手錠)」とか「ハジキ(拳銃)」とか言っているような感じ。どうやら、「デマケ」というのは霞ヶ関ジャーゴンらしい。デマケーションの略らしく、直訳すると《境界》とか《区分》のことだそうで、そこから転じて、「デマケを図る」というのは、要するに、ある領域についてはすでに誰かが担当しているから、その領域の外での仕事を考える、ということみたい。縄張り争いから外れたところで勝負しようね、ということを言いたいのだとか。うーん、難しい。

そんなわけで、ジャーゴンについて調べていたら、「スケジュール感」というのも、ジャーゴンの一種だ、ということを知る。へぇ。知らなかった。ボクなんか普通に使っていた。いろいろと考察されていて、そもそも「スケジュールを教えて!」というのと「スケジュール感を教えて!」というので、どう違うか、というのが、ネット上のあっちこっちで議論されていた。

多分、「スケジュール」はかっちりとしたイメージなのだ、と思う。だから、「スケジュールを教えて!」と言われた側は、不確定なスケジュールは答えられないので、明言を避けて「決まり次第お伝えしまう」と答えることになってしまうかもしれないし、訊く側も、万が一、「○○日までです!」と答えられてしまうと、何だかその期限までにやらなきゃいけないような気分になる。一方の「スケジュール感」だと「感覚」の世界なので、個人的な見解にまでブレーク・ダウンする。だから、「スケジュール感を教えて!」と言われた側は、明確にスケジュールを固めている必要がなくって、「大体○○日くらいまでにやってもらうイメージです!」というような回答になって、ざっくりとした目安の締め切りを答えられる。一方の「教えて!」と言う側も、「本音ではこのくらいまででいいですか? 頑張ります」的な展開に持っていける。「スケジュール感」という言葉は、そういう両方のせめぎ合いで、何となく生まれた言葉なのだろう。

なるほどなあ。何も考えずに使っていた。言葉ってのは、便利なように進化(退化?)していくのだ。