2017年3月24日 ぼくはごみくずだからやるんですッ!

はじめしゃちょーの謝罪動画、お通夜みたいなんだけど、あんなの見ても面白くないよなあ、と思う。だけど、その後、無邪気な動画が続いていて、とてもよいことだ、とボクは思う。ボクはYoutubeは比較的、見る方だ。でも、個人的にはそんなにはじめしゃちょーの動画が面白いとは思っていなくって、そんなに頻繁に見ることもないんだけれど、でも、見れば見たで、そのひとつひとつのクオリティは高いな、と思う。だから、是非、そのままの方向性で続けてくれればいいな、と思う。願わくは暴露して自爆した彼女の方も、引き続き、楽しく続けられればいいな、とは思うけれど、事務所的な問題もあって難しいかもしれない。まあ、彼女の動画の方はボクはまるで興味もないし、いつも見ないのでどうでもい いことだけれど。

そもそも、ボクはみずにゃんが言っているように、はじめしゃちょーの告発者を責めるなら、べっきーと絵音の告発者も責めるべし、という主張には大賛成だ。ボクはゴシップ誌が大嫌いだ。小さい頃に病院の待合室で開いて、非常にざわざわした気持ちになった。何だろうね、あの気持ち。人の秘密に触れるような、甘美で刺激的な感じで、心がざらざらする。確かに好奇心は刺激されて、満足する。でも、決して幸せな気持ちにはなれなかった。だから、本屋にある本を片っ端から手につけるボクだけれど、生まれてこの方、ゴシップ誌の類いは一度も購入したことはない。

今ってバカみたいな時代で、ゴシップ誌に書かれた内容をそのまんまテレビもネットも報道する。そうやって拡散していく。情報ソースがゴシップ誌って、何なのよ、とボクは思うし、ゴシップ誌の地位もあがったものだな、と思う。「文春砲」なんて楽しそうな言葉もボクは嫌いで、ゴシップ誌(敢えて週刊誌という言葉を避けて使用している)って、非常に露悪趣味だと思っている。そして、それを生業にしている人には申し訳ないけれど、ボクは好きにはなれない。それを楽しむ人の気持ちはよく分かる。ボクも好奇心が刺激され、本当はどうなの? と露悪趣味になる気持ちが生じないわけじゃない。誰かを引き摺り下ろそうとする気持ちも、楽しいのはよく分かる。変に正義感に駆られる気持ちも、実はよ く分かる。でも、気をつけなければいけないのは、それって、結局、いじめの根底にある感情と同じだ。

みずにゃんは自分のことを「クズ」だと自覚しているらしい。その一点において、ボクはみずにゃんを支持したい。彼は自分のアクセス稼ぎのために敢えて「クズ」をやっている。潔いな、と思う。ゴシップ誌のライタも、そういう自覚が必要だ。その上でやっているなら、それはそれで潔い生き方だ、と思う。でも、絶対に正義感だ、真実の追求だ、などと勘違いしてはいけない。

そんなことで、特にはじめしゃちょーのファンでもないし、普段、彼の動画を見ないボクなんだけれど(正直に言えば、たまに他のYoutuberさんとコラボしているときに見る程度なんだけれど)、書いてみた。そして、ゲスの極み乙女。の復活を祈っている(笑)。