2016年8月29日 「貧困」って何だ!?

最近「貧困JK」が特集され、NHKが炎上してあっちこっちで話題になっている。

彼女が本当に「貧困JK」なのかそうでないのかは分からないが、少なくとも、ボクは多くの人が「貧困」のイメージを取り違えていると感じている。

ナマポ問題のときにも話題になったが、生活保護を受けている人は贅沢をしてはいけないというのは間違っていて、受け取ったお金でどういう風に生活を切り回していくかは、彼らの生き方に関わる問題だ。生活必需品だけで「楽しみ」も「生きがい」も何もなく生きていける人間はいない。それに、大体、人間、常に清廉潔白かつ理性的な意思決定をしているわけではないし、人は積極的に何かを選択している場合と、結果として選択せざるを得ない消極的な選択の場合とがある。

たとえば、ケータイが導入されたとき、旅行会社が大きなダメージを受けた。今までOLが仲間うちで旅行していたお金がケータイ代に回った格好だ。何事もそうだけど、何かを選択したときには、その一方で何かを失う。当時、彼らが旅行を積極的に放棄したわけではない。ケータイを選択した結果として、旅行の分が切り詰められただけである。消極的な選択である。

今の若者が過去と比較してリッチなのかプアーなのかは分からないが、でも、明らかに「旅行」はしなくなった。「お酒」も飲まなくなった。「車」も持たなくなった。「子供」を持たない選択をしたり、「一人っ子」を選択している家庭も、実のところ、経済的な理由であることが少なくないだろう。目に見える形でのみ貧困が表れるわけではない。スマホやパソコンを持っていて、アニメ関連グッズを大量に買っていて、アニメフェスに興じているからと言って、それが裕福の理由にはならない。物の価値なんか大幅に下がっていて、生活必需品なんか簡単に手に入る時代だ。「物」の代償として、何かが失われている可能性があって、それが消極的な選択から来る「生活スタイル」や「文化」かもしれないし、そこで切り捨てられるものが「教育」であったら大問題だ。そして、それこそがNHKがテーマにしようとしていた「貧困JK」だったのではないか。

何かを購入しようとするときには、それは積極的な選択かもしれない。でも、何かを諦めるときには、それは消極的な選択である場合が多い。積極的な選択を積み重ねていった先に、消極的な選択を強いられたときに、それを意志薄弱と罵れるほど、人間は強くないし、それをバッシングできるほど、ボク自身も聖人君子ではない。

そんなことに思いを馳せられるような人間にボクはなりたいし、そういう人間が増えればいいなあ、と思っている。